椹木野衣 特別連載
第2回「自然によって濾過されたアートの体験」

前回は、ベネッセアートサイト直島がそう名付けられる以前から備えていた性質のうちのひとつ、のちに日本でも有数の観光拠点として世界に知られることになる賑わいからは想像もつかない姿としての、静寂と沈黙を通じてアート作品に触れる、そんな原点について触れた。そして、そのような感覚がこの地では水面下でずっと保たれ、現在に至るまでもたらされ続けていることについても付け加えた。

この点で言えば、コロナ禍で人の往来が大幅に抑制され、かつてと比べて想像もできないほど静まりかえったベネッセアートサイト直島の姿は、にもかかわらず、必ずしも例外的な状況ということではない。むろん、観光客の賑わいがない島の姿が、以前と比べ寂しくないと言えば嘘になるだろう。けれども、島を包んでいる今回の静寂と沈黙は、突発的に生じたようでいて、実際にはそういうことではない。そもそもの原点を振り返り、もう少し長期的な視点からすれば、元から備えていた性質がコロナ禍を通じて結果的に浮上し、そのことを経てふたたび原点へと回帰した、と言える部分も確かにあるのだ。

Naoshima
上空から見た直島南部の風景。2013年撮影(写真:大沢誠一)

島には、もともと異なる時間が流れているし、それを下敷きに、アート作品を通じてこうした性質を際立たせ、普段の生活では見えてこなかった「自分」とひとりひとりが出会い直す、そうした個別への働きかけが、ベネッセアートサイト直島には確かに備わっていたからだ。どんなに来島者が増えても、こうした本質的な部分は、見えないようでいて不動なものだ。究極的には、アートそのものが目的なのではなく、アート作品を通じて自分を再発見するための旅を、ベネッセアートサイト直島は様々な局面から準備していた。

そのために極めて重要な意味を持つのが、島という固有の環境であるのは、すでに触れてきたとおりだ。「自分」がいて、アート作品があるだけで、もうひとりの自分が見えてくるわけではない。両者を媒介する最大の存在が、島という環境なのだ。

この点で言うと、「単に作品を購入して展示するのではなく、アーティストを招いて「直島にしかない作品」を制作してもらい、完成した作品はベネッセハウス内外に永久展示するコミッションワーク形式によるサイトスペシフィック・ワークへと方針を転換します」(本ウェブサイトより)とした1996年の「サイトスペシフィック・アートへの方向転換」は、とても大きな意味を持っている。そして、そのような方向性を試行錯誤する最初のステップとなったのが、1994年に開催された「Out of Bounds」展であった。

幸運なことに、この時も私は直島に泊まりがけで滞在し、屋外に設置された展示をひとつずつ見て回ることができた。「Open Air '94―海景の中の現代美術」という副題の付いたこの展覧会での、作品を閉じられた展示空間ではなく、様々な角度から海を望む景色のなかで、鑑賞というよりも体験をするという試みは新鮮で、今では直島のシンボルとなった草間彌生の「南瓜」は、この時に制作されたものだった。ほかにも杉本博司、片瀬和夫、大竹伸朗らの作品がいまも当時と同じ場所に展示されている。また作品こそ残されてこそいないものの、同展にはテクノクラート(飴屋法水)、村上隆、枀の木タクヤ、中野渡尉隆ら、当時まだ美術界でデビューしてまもない若手(おもに東京、羽田近くのアルターナティヴ・スペース=レントゲン藝術研究所で発表していた)も多く参加しており、その後の彼らの活動にとっても新たな出発点となった。その頃はまだ、展示場は作品の特性に合わせて作り変えられる(すなわち「自然」ではない)のが当たり前だったからだ。

茶のめ
片瀬和夫「茶のめ」(撮影:村上宏治)

こうして、「既にそこにあるもの」(大竹伸朗)としての容易には変えがたい島の環境を前提に、人為の作品を共鳴させ設置するという試みは、当時のアート界にとってもひときわ冒険的だった。むろん、同様の試みは海外でも西欧を中心に、ドイツのドクメンタやミュンスターなどで行われてはいた。しかし、ここまで大胆に、作品を呑み込んでしまうほどに島の環境を前面化し、そのなかでアートをめぐる体験が抜本的に更新されていくような営みは、世界を見渡してもほとんど例を見なかった。ミュージアムのレベルでは、ドイツ、デュッセルドルフ近郊に位置するインゼル・ホンブロイヒ美術館が、1986年から「芸術と自然の並置」という方針のもと、自然環境と作品の展示とを相互に互換させる非管理型の運営を始めていたけれども、それにしても広大な湿地帯に散在するパビリオンを島(=インゼル)に見立てたのは一種の比喩であって、直島のように本物の島に根差すダイナミックな自然を前提とはしていない。

静寂と沈黙を通じて自己を再発見するためには、そのような「荒療治」が必要なのだし、そのことを通じて見出される新たな自己は、決してアートやアート作品を自己目的化するものではありえない。目前の自然によって濾過されたアートの体験は、通常の展覧会で鑑賞する作品という次元をはるかに超えて、自己の内奥へと働きかけ、世界への新しい視野を切り開いてくれる。そのような内省的な自己の発見は、コロナ・パンデミックが常態化し、人と人が切り離され、以前のように気楽には展覧会に接することができなくなった今こそ、以前にも増して大きな意味を持つように思われる。(次回に続く)

■椹木野衣 特別連載
第1回「美術作品が主役でない初めてのミュージアム」
・第2回「自然によって濾過されたアートの体験」
第3回「内省という体験を導き出す光」
第4回「神なき時代に内省を取り戻すためのアート」
第5回「生きるためのアートの力」

椹木 野衣(さわらぎ のい)
美術評論家。多摩美術大学教授、同芸術人類学研究所所員。1991年に最初の評論集『シミュレーショニズム』を刊行。『後美術論』で第25回吉田秀和賞、『震美術論』で平成29年度芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)を受賞。瀬戸内国際芸術祭ではアーティスト選考アドバイザリー委員を務める。公益財団法人 福武財団 「アートによる地域振興助成」選考委員長。

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