寄稿「芸術性と風土性と場所性の卓越した融合」西田正憲

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写真:濱田英明

オンラインを通じて遠隔のコミュニケーションが可能となり、ネットで見たい写真や動画を瞬時に探しだせるようになった。ずいぶんと便利な時代になったものだが、我々はこのような間接体験の世界だけで充足するわけはなく、オンライン時代が到来し、写真や動画が氾濫すればするほど、直接体験の重要性が増すことにも気付いている。

風景に関していえば、映像がどれだけ感動的であっても、それは我々が現地で体験する風景とは異なる。むしろ映像が感動的であればあるほど、直接体験の風景とは乖離しているかもしれない。優れた風景写真のように技術の粋が捉えた画像は我々が体験する風景とはかけ離れている。ドローンの映しだす俯瞰映像もまた、こんなにも美しい場所だったのかと驚かされるが、それは我々が体験できない風景である。映像の最大の特徴は本来地平として広がる風景を自由な視点で切り取ることである。

映像が捉える風景を虚景、我々の眼が直接捉える風景を実景とよぶならば、写真の誕生にみるように最初は虚景が実景を追求し、再現しようとしてきたが、やがて写真が発達すると虚景が実景に影響をおよぼしはじめる。象徴的な事例は19 世紀後半、エドワード・マイブリッジによる疾走する馬の連続写真である。人間の眼は馬の疾走する足の動きを捉えられなかったが、連続写真は4本の足の動きを精緻に捉えた。4本の足が同時に地面から離れることを知った人間はやがて馬がそのように動いていると見るようになる。見えないものを見るのである。

風景画が全盛で風景写真が出現しはじめた時代、風景の見方もまた風景画や風景写真の影響を受けてきた。人々は風景画や風景写真の風景を称賛し、それを現実に追い求める。写真や印象派絵画の出現で風景画は解体していくが、風景写真はますます隆盛となり、人々に大きな影響を与えつづける。実景に基づき虚景が生みだされ、その虚景が実景に影響をおよぼす。そしてさらに、影響を受けた実景が新たな虚景を生みだす。以後とどまることなくこれをくり返し、実景と虚景が絡まりあい螺旋状に循環しながら進展する。

我々の風景の世界は実景と虚景から成り立っている。実景と虚景は相互に依存的であり補完的でさえある。現代社会では一見虚景が実景に優越しているかのように見えることがあるが、虚景は実景なくしては生成しえないのであり、実景の価値が低減するものではない。実景にはゆるぎない本物の価値がある。どんなに虚景に魅せられても実景には実景の価値がある。視覚のみで見る映像世界と身体をもって体験する現実の風景とは本質的に異なる。我々は根源的な欲求として本物を見極めたいと思う。

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写真:濱田英明

ベネッセアートサイト直島の活動を風景論の観点から評価するならば、一つは瀬戸内海の島の風景を新たに照らしだし、島の普通の風景を発見したことである。アートと建築が我々の認識の布置を組み換え、既知の風景を未知の風景に変えて風景の発見を促したといえる。SNSの発達とも相まって、ローカルな風景を意味付け、価値付けることによって自分の風景、自分たちの風景を追い求める時流に先駆けていたともいえる。

もう一つ重要なことは、ベネッセアートサイト直島が風景の深遠さを語りかけてくることである。我々はそこに身を浸すと平板な映像が伝えていない多くのことを発見する。

岡山の宇野港からフェリーで島々のあいだをすりぬけ、静穏な海面をゆっくりと進むと、直島の工場の高い煙突が見え、赤茶けた山肌があらわれ、民家が軒を連ねる小さな港に着く。航路は異世界へと誘う通路である。陽光と微風のなかでいつしか身体感覚を研ぎすましながら、瀬戸内海の離島への旅は近現代文明と隔絶する心地よい旅情をもたらしてくれる。瀬戸内海の海と島の風景は豊かでのどかな時間を与えてくれる。

ベネッセハウスは大きな開口部を通して海と交流している。白い航跡を曳きながらゆっくりと横切る船影を見ていると人はふと時間について思いを馳せる。地中美術館は日常世界を忘却させ、我々を清らかな美的世界に沈潜させる。それは宗教的空間にも似て、身も心も空間に溶融してしまうような清浄感を与えてくれる。このアートの空間は現代の聖なる空間なのだ。家プロジェクトの「角屋」の不思議な異空間では、数字の点滅がこの家で生きてきた人々、この街で生きてきた人々を実感させ、人間の生と死が頭をよぎる。豊島美術館では、圧倒する斬新な空間のなかで、生まれ、転がり、消えうせるはかない水滴に心を打たれる。ガラスのようにきらめく水滴は美しく繊細で、うつろいゆく無常さえ感じさせる。

物質や情報の洪水に翻弄され、精神が荒廃し消耗していく現代社会において、この地では人間精神をとりもどすことができる。瀬戸内海の島嶼という自然のなかで、最先端のアートと建築にふれることで、近現代文明とは何だったのかを見つめ問いなおし、人間とは何か、自分とは何かを考えさせられる。

これらのアートと建築はそれだけで完結しているのではなく、瀬戸内海の島嶼というコンテクストのなかにあって輝いているといえる。これらは瀬戸内海の風土に生き、風土を生かしている。島嶼の風景に生き、島嶼の風景を生かしている。都市文明、科学技術文明、物質文明に代表される近現代文明は、風土と過去を否定し、風土と過去とのつながりを断絶することで壮大な文明を築いてきた。だがこれらのアートと建築は、風土と過去を生かし、それらとの連続性を志向している。ベネッセアートサイト直島をゆったりとめぐるとき、我々は20 世紀の文明とは何であったかを考えずにはいられない。

ベネッセアートサイト直島のアートと建築は、美的経験にとどまらず、ある種の衝撃であり驚愕であり、世界の認識にかかわる経験である。このような経験は映像だけでは不可能であり、現地に身を置いてこそできる経験である。アートと建築の力、瀬戸内海の風土の力、島嶼の場所の力、芸術性と風土性と場所性の卓越した融合を身体で捉えることによって可能となるのだ。言葉に表現できなくても、我々は身体をもって現地の気分や雰囲気や気配に浸潤され、土地のおもむきを感受し、場所の意味を看取している。

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写真:濱田英明

風景は本来身体や精神に捉えられる全体的なものであり、分析的思考がおよばない総合的で直観的なものである。我々はベネッセアートサイト直島に到着したとき、曖昧ではあるがすでに比類ないある本質的な何かをつかみとるのである。現象学のモーリス・メルロ= ポンティは著書『知覚の現象学』で「風景や都市を貫いて拡がる或る潜在的な意味というものがあるのであって、これをわれわれは、定義の必要などを感じることもなく、特有な明証のうちに見いだすのである」*1としるしている。

来訪者はアートをめぐるうちにたんなる美術鑑賞者ではなくなり、土地のさまざまな風景に魅せられる地域探訪者となり、さらには近現代の知のあり方や文明のあり方について思いをめぐらす思索者となっていく。ベネッセアートサイト直島はめまぐるしく変化する社会にあって近現代文明を見つめる座標軸の原点を定位している。

*1 モーリス・メルロ= ポンティ、竹内芳郎他訳 『知覚の現象学2』(1974 年、みすず書房、p.115)

※本記事は「ベネッセアートサイト直島 広報誌 2022年4月号」掲載の記事を転載しています。

西田正憲にしだ まさのり


奈良県立大学名誉教授。博士(農学)。技術士。環境庁山陽四国地区国立公園・野生生物事務所保護科長、京都御苑管理事務所庭園科長、奈良県立大学地域創造学部教授などを経て現在にいたる。主な著書に『瀬戸内海の発見』(中央公論新社)、『自然の風景論』(清水弘文堂書房)、『国立公園と風景の政治学』(京都大学学術出版会)など。

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