犬島パフォーミングアーツプログラム
「犬島サウンドプロジェクト Inuto Imago」
内橋和久インタビュー
≪ 後篇 ≫

「犬島パフォーミングアーツプログラム」第3弾、「犬島サウンドプロジェクト Inuto Imagoイヌト・イマーゴ。ギタリストで、作・編曲家、プロデューサー、そして、これまでに犬島で公演された劇団維新派の舞台音楽監督を担当してきた内橋和久が、島の音に耳を傾け、新たな音楽を生み出すため、プロジェクトを展開させています。内橋さんへのインタビュー、前篇に引き続き、後篇をお届けします。

――今回のワークショップは、ダクソフォン(内橋和久)、ヴォイス(ルリー・シャバラ)、インスツルメントビルディング(ヴキール・スヤディー)の3つに分かれていますが、内橋さんはダクソフォンをされるんですね。

内橋:
この楽器は、ちょっと面白い。楽器は、リズムを出したり、メロディを弾いたり、そういうものを楽器と呼ぶでしょう。この楽器はね、喋るんですよ。喋ることは、一番表現力が問われるから、そこが他の楽器と圧倒的に違うところ。もちろん普通の楽器でも、喋るように演奏したいとトライしている人はいっぱいいるし、僕もそうだった。だけど、あの楽器は、本当に元々喋るから(笑)。その"喋る"楽器ゆえに、自分の言語と密接に関係しているから、違う言葉を喋る人があの楽器を演奏すると、「違うんだ!」って思うわけ。僕は日本語で"喋って"いるわけ、多分ね。

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"喋る"楽器、ダクソフォン

――「私はここにうたを残そうと思います」と、今回のチラシに書かれています。残す歌が、昔から犬島にあったといわれている犬島音頭と、2013年の維新派の公演「MAREBITO」のときの曲「うみものがたり」と聞いています。また、犬島音頭の方はイマン・ジンボットの演奏も入って、インドネシアっぽくなるというか、昔のものそのままでない新しいものができようとしている。この歌を選んだ経緯を教えてください。

内橋:
「うたを残す」という意味合いが、ちょっと違う。「うたをここに置いて帰る」という単純な意味ではなくて、うたも、音全般という意味で捉えています。もちろん歌を残すんだけど、ただ、その歌がどういうかたちで、この島に来た人に、島の方々に、そしてこの島自体に響いて、どうなっていくのか――。それは僕には分からない。でも、この島のために歌をつくりたいなと思った。もちろん新たな歌もつくるし、「うみものがたり」は、この島に関わる歌であると同時に故・松本さんと二人でつくった歌でもあって、絶対やりたいなと思いました。

最初犬島にリサーチに来たとき、島のおばあちゃんと話をしてて、「毎年ここで盆踊りやってるんだけど、実は犬島の盆踊りって本当は昔は違うものだったんだよね」みたいな話になった。「それは何で?」と尋ねて色々詳しく話を聞いて、調べていったら譜面もあった。音源はどこにも残っていないので、これは残す意味があるなーと思った。おばあちゃんたちが亡くなったら消えちゃうわけで。そういう意味では残しとかなきゃなって。でも、犬島音頭も、元々はおばあちゃんたちが当時習ってた学校の先生がつくってるわけ。島は小さいから、例えば学校で校歌をつくるとなると学校の先生がつくるんですよ。そういう作り方。都会の学校なら、あの作曲家の先生に依頼しましょうとなるけど、島じゃ、そんなことはないわけです。みんな自分たちでつくっちゃう。歌詞も自分たちで考える。あの犬島音頭も、みんなそれぞれが歌詞を書いて、それを集めて10番までの歌にしてある。みんながそれぞれ書いた人が一曲ずつ、1番ずつ違うわけですよ。犬島をテーマにしたお話が10個作ってあるんです。これは面白いなって思ってね。島の数名の方しか知らないものだけど、おばあちゃんたちが亡くなって、そのまま消えていくっていうのも、なんか寂しい。音源としてちゃんと残して、かたちにする必要があるなと思ったので、それをまずやりたいと思う。新しい歌も含めて、「うたプロジェクト」として、「犬島音頭」、「うみものがたり」、新曲、全部で3つの曲をやることにしました。

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8月に犬島で行われた、「うたプロジェクト」レコーディングの様子

――残すと、残っていくものなんでしょうか...。

内橋:
この島に歌をつくって残すことで、何が起こるのかなっていうことなんです。この先、分からないけどね。歌をつくっても、みんなそのまま忘れて消えていっちゃうかもしれない。けれども、何かになればいいかなと思っているんです。ここに歌を残すために、ここ(ライブハウス)で、音楽をやって、島に馴染ませるというか。歌を残すためのお祭りを、2週間やるみたいなことなんです。

――お祭りをすると、歌が残る...?

内橋:
いやいやいや!そういう理屈で考えないで欲しいんだけど(笑)。やっぱりお祭りは、なんらかの感謝とか、いろんな意味を込めてやるわけでしょ。そういう意味を込めて、僕らはここに歌を、音を、この島に染み渡せるためにやる。そのために、2週間、毎日お祭りをする。いろんな方法で、島に、島民の方々に、浸み込ませるために。ワークショップもそうですよ。ルリーのヴォイスパフォーマンスワークショップは、犬島のいろんなところへ行って、声を出し合う。つまり、その声が、島のそこの場所に染みていくわけ。いろんな形で、ここに、音を根付かせるための方法。こじつけかもしれないけど(笑)。

――「染み渡っていった」として、それは目に見えないし、形に残らない。けれども、人の心に残っていくものだと思っています。

内橋:
それは正しいと思う。表現に出合った人にしか分からないし、たとえ行った人からいくら感想を聞いても、それでは分からない。本人にしか分からないことです。人それぞれみんな、どう受け止めるかは違うわけだから。他人の感想は、その人が受け止めた感じを聞くわけだから、自分が実際にそこにいたら全然違う感覚になるかもしれない。行った人しか分かんないこと。感覚だから。感覚って一番大事。例えば、「どう感じたか言葉にしなさい」って言われても、「言葉になんてできないよ」っていうことが大半なわけです。無理矢理することもあるけど、本当にすごいことって、言葉で言えないよね。「ああいう気持ちになる」「こういう気持ちになる」「こんな感じに自分はなった」。それは絶対表現できないし、自分としか共有できない。他の人には分からないものでもある。だから、それがいいわけ。

――その、「どう感じたか」のイマジネーションが、今の若い人には欠けてるというか、結構深刻ということですか?

内橋:
受け止めて、感じるためにはイマジネーションがいるってことです。それは世代もあるかもしれない。ただ、そういうふうに言うと、ただのおじさんの「最近の若いモンは...」って話になるから(笑)、それももう嫌だなぁと。

――でも、その内橋さんが「イマジネーションが必要だ」というのに、そこに対する危機感が最近はないとおっしゃるわけですよね...。

内橋:
だからライブでは、つっこみますよ。逃げられないようにする。もう、ガーンといくわけ。結局、「あなたはこれをどう受け止めるの?」という問いかけだから。僕らは本気でやる。だから「君らも本気で聴け!!」みたいな。やっぱり、音楽を聴くのも簡単なことじゃない。車中のBGMとは訳が違う。表現としても強いものだし、その強さもやっぱり大事にして、ちゃんと使わなきゃいけない。変な使い方をすると、ただの暴力になってしまうから。危険だけど、どれだけ自分の誠意を持って、本当の自分の気持ちで発するのかということが、多分キーになる。いい加減な気持ちじゃない。僕らはやることが過激だけど、喧嘩売ろうとしているわけじゃない。優しい気持ちでやってるから。でも表現としては強いし、この強さは必要だし、それを受け止めて欲しいと思う。

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ライブ初日、島内からも続々と人が集まった

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――残す、うたを残すということですが。音楽をやっていて、残すということに対してどういうふうにお考えですか。

内橋:
それね、難しい問題だね。残さなくてもいいものは、いっぱいある。であれば、何を残すのかということになる。何を残すかは選択、何が残るかは運。残されなければならないものが、必ずしも残っているとは限らない。逆に残さなくてもいいものが残っている場合もある。残ったという結果は、危機感を感じている人が「これを残さなきゃ」と、残す運動をしたことによって、かろうじて残ったということもあるわけでしょう。でも、何を残すべきかという感覚はみんな違う。それは誰かが決められることではない。僕は、今回「うたを残す」と言っているけれども、記録として残すっていう意味ではないよ。僕の場合は残すと言いつつ、裏では「何が残るかな」ですよ。問いかけです。僕は強制できないから。残ればいいな、これがなくなってしまうのは悲しいなと思うから、形にしてみる。でも、それが本当に結果として残るかどうかは分からない。消えちゃうかもしれない。残れば残ったでいいし、残らなければ残らなかったでいいと思う。どちらでもいい。ただ、残したいという意志のもとで自分が何かをしたってことだけです。やっぱり、残らないものは残らないし、残るものは残る。それは誰にも分からない。

犬島で面白いのは、小さい島で、若い人たちが何人か住みついているようだけど、外から来た全然関係ない若い人たちが、おばあちゃんの話からこの島の昔話を聞かせられて、この島の知識を植え付けられているわけですよ(笑)。この島で育ったわけでもないのに。面白い現象だなーと思って。この島の人じゃないんだから。島の人じゃない人に、この島のことを残しにかかってるわけだから。

――ライブ最終日(9月3日、4日)の向けての意気込みを、お願いいたします。

内橋:
特別なことはないよ。いつもと一緒。もちろんワークショップのショウイングや、「うたプロジェクト」参加の島民コーラス隊出演はあるけど、それが最終目的でもなんでもない。8月初旬から滞在して、ずっと犬島の中で生活をして、一緒にやってきて、最後にみんなで一緒にお祭りやりましょうっていうことでしかない。

――そう思うと、色々想像しながら受け止めさせられますね。

内橋:
でもそう思わせちゃうと、もう駄目なんです。こちらに責任がある。どう見てもいいし、どう聞いてもいいという前提でやらないと意味が無いと思うし、それを決めるのは見る人自身。やる側が強制することでは一切ない。その人の中に、どう響くかってことにしか僕は興味ないし、その人が自分の中で何か膨らませ、何か発見してくれたら、それだけで僕は生きててよかったなって思うんで。
人間生きてる以上、自分がやったことで何か人に影響を与え、また人がやったことで自分が何か影響を受けて生きてるわけだから。それの繰り返しだし、それができないと、やっぱり出合う意味はないと思うし。それのためにやってるんだと思う。それはお客さんだけじゃなくてね、今回は島の人を含めてね。島自体も含めてのことです。

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