《無限門》――自然に呈された「直島のアーチ」
1980年代から活動するベネッセアートサイト直島の記録をブログで紹介する「アーカイブより」。今回は、李禹煥美術館の《無限門》(2019)の制作エピソードをご紹介します。
瀬戸内海の島々で展開する「ベネッセアートサイト直島」の活動は、一般的な美術館の展覧会と異なり、一度展示した作品はほとんど展示替えを行わず、恒久的に設置されることにより、常にそこにありつづける島の自然とともに、その地に根づいていきます。
今回ご紹介する李禹煥美術館も、美術家・李禹煥氏の作品を恒久的に展示し、氏の世界観を瀬戸内海の自然のなかで体感できる美術館として2010年に開館しました。その後も少しずつ作品が加わり、ゆっくりと成長しています。
その成長過程のなかでも一つの集大成といえる《無限門》は、開館10周年を目前に控えた2018年から19年にかけて制作されました。小さな美術館にもたらされたのは、全長25メートル、高さ約10メートル、幅約15メートルの大きなステンレスのアーチと石から成る作品です。
李氏による大型アーチ作品は、2014年にヴェルサイユ宮殿で発表した《関係項-ヴェルサイユのアーチ》、2019年の直島の《無限門》、そして2022年9月現在、東京の国立新美術館で開催中の「李禹煥」展で展示されている最新作《関係項-アーチ》と、アーチの作品そのものも成長の過程をたどっています。
直島におけるこの壮大な作品の構想は、李氏が描いた一片のラフスケッチから始まりました。
通常、大型の作品制作は、寸法や工法を示す設計図をつくり、施工に関わる技術者によるプロジェクトチームを結成し、完成までの計画を立てることから始まります。
当然、まだ見ぬ作品には見本などなく、あくまで李氏のスケッチを起点に精緻な図面を起こすことが最初の大事な工程となります。単に尺をとるだけでない、李氏の感性を深く解釈することが製図するうえでの大切なプロセスでした。
瀬戸内海沿岸は、国内有数の造船産業の集積地です。そのことは、《無限門》の技術者チームの編成に功を奏しました。ステンレスの精製、鋼板をアーチの形に曲げるベンディングという工程は、直島の対岸・岡山県玉野市の造船所を中心に、広島や呉といったいずれも瀬戸内海沿岸の造船工場の技術者たちによって担われました。
一方で李氏自身は、紙に描かれた設計図をとっぱらい、自然の中に置かれるアーチの形状や寸法、設置する場所を自身の身体感覚をもって定めていきました。その場に身を投げ出して自然のダイナミズムを受け取る作業です。小高く連なる山に囲まれ、何ら目印のない倉浦の浜辺で、まるで自然と対話するように、その感覚を響き合わせる姿はまるで即興音楽を奏でる指揮者のようでした。 そして直島の自然に呈された「直島のアーチ」は制作の過程で、《無限門》と名付けられました。
「自然は捉えどころがない。(中略)対象物としての自然は、人間が管理したり破壊することも出来るが、それが非対象の世界として思い浮かぶ時は手の付けようがない。自然という言葉がしばしば神秘と結びつきやすいのは、その無限性の故ではあるまいか?」(李禹煥『余白の芸術』2000年p. 300)
プロジェクトチームとのさらに密な連係は2018年の秋から冬にかけて行われました。李氏は自ら広島県呉市にあるステンレス加工工場に足を運んでアーチの湾曲の具合を確認し、自然石の選定では岡山県内の採石場を繰り返し訪れました。
技術チームも一致団結してテンションが高まるなか、2019年1月、極寒の日に設置工事が始まります。設置工事は昼夜にわたって行われました。
設置工事が終了した後は敷地内の植栽を整え、春の芽吹きを待ったのち、李禹煥美術館の新作《無限門》として瀬戸内国際芸術祭2019の夏会期の始まりとともにお披露目となりました。
《無限門》完成後の2019年以降の世界は、パンデミックや戦争などの影響でとかく激変しています。いまほど、自然とともにある人の身体性を取り戻すことの必然性が問われている時代はないと言えます。
そんな時代にあって、李禹煥氏の感性と地域の人々の手業、自然との協奏によって生まれた《無限門》は、李禹煥美術館から瀬戸内海をのぞむ直島・倉浦の地に、今日も変わらぬ姿であり続けています。
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