「瀬戸内国際芸術祭」2010年の初開催に至るまで

「瀬戸内国際芸術祭」は 2022年で5回目の開催となりました。主催は、香川県をはじめとする複数の自治体や団体からなる瀬戸内国際芸術祭実行委員会であり、ベネッセアートサイト直島を展開する直島、豊島、犬島も主な会場の一つとして参加しています。2010年の第 1 回の開催以降、毎回 100 万人近い来場者が訪れていますが、それは香川県をはじめ、各市町、島の住民など多くの方々の尽力によって支えられてきた結果です。

「瀬戸内国際芸術祭 2010」開会式
2010年7月19日、「瀬戸内国際芸術祭 2010」開会式

一方、ベネッセアートサイト直島の活動の特徴は、訪れる方々が「よく生きるとは何か」について考える契機となる場の創出を目指し、アーティストがその場所でしか成立しない作品を長い時間をかけて制作、公開することにあります。この手法を用いながら若干の調整を加え、備讃瀬戸という広域においてアートによって地域を変えることを目指したのが「瀬戸内国際芸術祭」です。このプロジェクトの基本的な構想が始まったのは 2004 年頃のことでした。

2004年1月、直島福武美術館財団(現・福武財団)の理事長、福武總一郎は、当時内閣総理大臣だった小泉純一郎氏が産廃問題で注目が集まっていた豊島を訪れたことをきっかけに、総理に宛てた1 通の手紙を書きました。直島で、土地の自然や文化、歴史と共生するアート活動に取り組んでいた福武は、島の可能性に着目し、複数の島々に活動を展開することで瀬戸内海に文化的ネットワークを創り上げることを構想していました。その後、首相官邸に招かれ、官邸側に瀬戸内海の島々やアートをめぐる構想について語る機会を得ました。その際、担当者だった首相秘書官の丹呉泰健氏から、内閣総理大臣を本部長とする都市再生本部が募集する「全国都市再生モデル調査」への応募を助言されました。この助言を受けて直島福武美術館財団が応募し、審査を受けて、選定されました。

選定されたのち、財団はかねてから検討していた「瀬戸内アートネットワーク構想」の具体化のために、本格的な調査に着手しました。この構想は、現代アートによる地域の活性化が進んでいる直島を核として、700 島もあるといわれる備讃瀬戸エリアの島々と沿岸の都市とをアートを軸に結びつけて広域的なネットワークを創り上げ、瀬戸内海に新たな文化エリアを創造し、世界中から来訪者を呼ぶことができるような魅力的で文化的な地域開発を行い、地域の活性化を図ることを目的としたものです。ネットワークの実現により、人口減少と高齢化により活力が低下しつつあった島々の「コミュニティの再生」、各島が元々持っている景観や暮らしなどの魅力を再発見、再評価し、アートによって新たに現代に活かす「文化の創造」、アーティストや国内外からの来訪者と地域住民との交流を促す「交流空間の創出」を目指すこととしました。(出典:『瀬戸内アートネットワーク構想について』、直島福武美術館財団、2005 年、p.2)

調査事業の一環として、2004年10月から2005年2月にかけて、財団の職員らが瀬戸内海の島々の調査を行いました。対象となったのは香川県の13島と岡山県の1島の全14島。それぞれの島に担当者が渡り、面積や人口、風土や経済活動、文化などの現状を、地域住民や専門家にも会い、詳しく調べました。その結果は地域活性とアートを結びつけた提言としてまとめられ、2005年2月19日、サンポート高松のかがわ国際会議場で開かれた「瀬戸内アートネットワークの可能性」(主催:直島福武美術館財団、共催:国土交通省四国地方整備局、香川県)というシンポジウムで発表されました。そこでは、「瀬戸内という広域的なエリアは歴史と文化を温存した個々の島々の個性の連なりであり、中身をもった『多島の集合』として評価する必要がある」という意見や、ヴェネツィア・ビエンナーレのように100年続く現代アートの祭典もあり、文化資源の豊かな瀬戸内でも、そうした試みが考えられるといった具体的な提案が出されました。そうしたイベントを4~5年に1度、実施してはどうかという発案もあり、2010年の開催が視野に入りました。これらの動きは、芸術祭開催に向けての気運を高める一助となりました。

調査
(左上・左下・右上)2005年2月15日、調査事業の一環としてアートクルーズツアーを試行。
(右下)調査事業のため、島々の集落を訪ねた
直島・本村地区
1990年代後半から2000年代前半頃の直島・本村地区
「瀬戸内アートネットワークの可能性」,「スタンダード」展
(左)2005年2月19日、高松で開催されたシンポジウム「瀬戸内アートネットワークの可能性」
(中・右)2001年秋、直島で開催された「スタンダード」展

同時期、香川県庁内でも芸術祭につながるアイデアが生み出されていました。きっかけとなったのは2001年、香川県庁に勤務していた若手職員の一人が、直島全域の家や施設、路地を舞台に開かれた現代アート展、「スタンダード」展を訪れたことでした。この職員は「このような試みをもっと広域でやりたいと考えるようになった」といいます。2004年12月、この職員を含む県庁の若手グループが「『現代アート王国かがわ』の確立~にぎわいづくりのための文化振興~」と題した政策研究報告書を作成、「アートアイランド・トリエンナーレ構想」を県庁内で提言しました。そこには、現代アートが県外からの集客を呼び、それによる経済効果を期待できることや、トリエンナーレの開催によって香川県内にある美術館などのアート資源を有効活用することができ、アーティストとの交流のチャンスが増えることなどのメリットが説明されていました。この提言は、当時の真鍋武紀知事を含む県幹部に向けて発表されました。

大竹伸朗「落合商店」
「スタンダード」展の参加作品、大竹伸朗「落合商店」

かつて高松港は、宇高連絡船の四国側の受け入れ港として賑わっていましたが、1988年、瀬戸大橋の開通による宇高連絡船の廃止にともない、徐々にその活気を失っていった経緯があります。サンポート高松の総合整備事業を担当していた香川県土木部の部長は、高松港に新たな役割をもたせる必要があると考え、高松港と香川県の島々との航路に着目し、その往来を活性化することで高松港の賑わいを創出することを考えました。その頃、すでに直島ではアート活動が展開されており、同部署は、アートや建築を目的に島を訪れる人々がいること、そして、島々への航行を促し、海の往来を活発にするアートの力をひとつの可能性としてとらえました。

一方、香川県の真鍋知事は当時、政策課題をいくつも抱えていました。前述のJR高松駅周辺のサンポート高松の総合整備事業や過疎高齢化が進む離島の振興、そして全国的にも注目を集めた豊島への産業廃棄物不法投棄事件。真鍋氏は2010年に行われた福武との対談で次のように語っています。「1998年、私が知事に就任して初めて取り組んだ仕事のひとつが、豊島に不法投棄された廃棄物をどこでどう処理するかという問題でした。豊島に比べると、隣の直島には三菱マテリアルという大企業が長く根付いていて、インフラが整備されていました。そこで直島の皆さんにご協力をいただけないかと考えました」。しかし、廃棄物を持ち込むことへ賛同が得られるかは不安だったといいます。福武は「現代アートというのは、文明の負の部分を表現していて、それをプラスに転ずる力もある。だから現代アートと廃棄物の処理は両立する」とコメントしています。2000年3月、当時の濱田孝夫直島町長は産業廃棄物の受け入れを表明。2003年9月に直島島内に中間処理施設が完成して、廃棄物の処理が始まりました。(出典:ウェブサイト「みんなの行政THE かがわ 2017年9月号 香川県」)「廃棄物を運んで処理するだけでなく、エコタウンとしての島づくりを推進していきたい」と考えた真鍋知事は、その後、芸術祭の開催に向けて全面的に協力していくことになります。(出典:美術出版社『瀬戸内国際芸術祭 2010公式ガイドブック アートをめぐる旅・完全ガイド』美術出版社、2010年、p.23)

このような香川県側の動きを踏まえつつ、ベネッセアートサイト直島は芸術祭開催に向けての動きを加速させます。福武は、2000 年から新潟県で開催されている「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」でディレクターを務める北川フラム氏に協力を要請しました。2006年10月、北川氏と福武は会合の機会を得て、「瀬戸内国際芸術祭」を構想しました。2007年4月、北川氏と真鍋知事とが初対面、同年9月7日、真鍋知事と北川氏、福武の三者が集まって会談を行い、福武が芸術祭開催に向けての決意を表明します。この場で、北川氏に瀬戸内国際芸術祭の総合ディレクターを依頼することも知事に伝えられ、芸術祭の開催に向けて具体的な協議が始まりました。ここで「アートで地域を活性化したい」という同じ想いを持った、ベネッセアートサイト直島と香川県という2つの流れが合流し、芸術祭の開催実現に向けての道が開けたといえます。

2008年4月25日、瀬戸内国際芸術祭実行委員会が設立され、2010年に第1回を開催することが正式に決まりました。会場となる島々では、開催に向けて多くのプロジェクトが同時並行で進んでいきました。直島福武美術館財団は、2008年4月27日、犬島アートプロジェクト「精錬所」を開館、2009年7月26日、直島銭湯「I♥湯」の営業を開始しました。また、芸術祭開催直前の2010年6月15日には李禹煥美術館が開館しました。香川県側の動きも活発化し、2009年10月16日にはボランティアとして運営をサポートする「こえび隊」が誕生。また、同年12月から開催地となる島々で地元住民への説明会が始まり、芸術祭の開催が地域にどのような影響を与えるかなどの議論の場が設けられるなど、開催に向けて着々と準備が進められていきました。

そして2010年7月19日、「第1回瀬戸内国際芸術祭」は快晴の海の日に始まりました。会期は10月31日までの105日間。「海の復権」をテーマとし、直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島および高松港周辺が会場となりました。18の国と地域から75組のアーティストやプロジェクト、16のイベントが参加。当初の来場者の見込みは"30万人 "でしたが、スタートから 49日目にはその見込数に達し、最終的には見込みの3倍以上となる約93万8千人が来場しました。

島々を巡るツアー
2009年5月31日。公募作品募集にあたり、事前に島々を巡るツアーを開催
男木島、小豆島
(左)小豆島中山地区の「千枚田せんまいだ」。大小700余りの稲田が広がる。
(右)男木島。集落のなかは、ほとんどが坂道。家の土台には花崗岩が積まれている。
オオテ
女木島。港周辺の「オオテ」。潮風から家々を守るために築かれた。

これまで述べてきたことからわかるように、「瀬戸内国際芸術祭」は多くの人の想いや意志が重なり合い、結びつき、動き出したことで実現に至りました。瀬戸内という場は、昔から外から訪れる人たちと内で暮らす人たちが行き交うことで育ってきた場所です。限りない出合いが、それぞれの化学反応を起こし、新しい何かを生み出し続けてきました。これこそがこのエリアが持つ力であり、可能性であると思います。「瀬戸内国際芸術祭」もまた、新しい何かを生み出す契機のひとつとなることを願っています。

※本記事は「ベネッセアートサイト直島 広報誌 2020年1月号」の記事を一部再編集して掲載しています。

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