寄稿「『来し方行く末』を考える」青野尚子
直島とそのまわりの島々や港に訪れるようになってずいぶん経つ。最初は直島にしかアートはなかった。高松港からフェリーに乗って、宮浦港で下船して、バスでミュージアムに向かう。ホテルに泊まって好きな時にミュージアムのアートを見る。私がまず好きになったのはベネッセハウス ミュージアムにあるブルース・ナウマンの「100生きて死ね」という作品だ。ネオンサインで"~~ AND LIVE"、"~~ AND DIE"というテキストが100書いてある。「遊び、そして生きろ(死ね)」「走れ、そして生きろ(死ね)」「話せ」「立て」とわかりやすいものから「黒と生(死)」「赤と生(死)」のようにわかりにくいものまでいろいろだ。そのテキストが一つずつ点灯していって最後にすべてが点灯し、消える。誰もいない夜のミュージアムのアトリウムで一人、この作品の前に立っているときの気持ちは格別だ(ベネッセハウスに宿泊すると23時まで鑑賞できる)。瞑想のような、どこかへ導かれるような安らかな気持ちになれる。
直島の家プロジェクト「南寺」ではこんなことがあった。ジェームズ・タレルのこの作品は一寸先も見えない闇の中でしばらく待っていると"何か"が見えてくる、というものだ。私が入ろうとしたら、耳の不自由な方の団体がやってきて一緒に入った。入るときは暗闇で転ばないように手を繋いだりしてはしゃいでいたが、中ではみんな静かに作品を鑑賞している。ほぼ同じようなタイミングで外に出て、中での体験を思い出しながらまぶしい外光に目を細めていると、その団体を引率されていた方が話しかけてきた。大阪からなのか、関西弁だ。「なあ、これはあれやろ、じーっと座って『来し方行く末』を考える、っちゅう(という)もんなんやろ」。突然のことにちょっとびっくりした私は「そうですね」と返事をするのが精一杯だった。
その人の言葉はずっと残っていて、他の作品を見ていてもふいに頭に浮かんでくる。それから何年もたって、「豊島美術館」で内藤礼の床から現れては消えていく水滴や風に揺れるリボンを見つめているときも、クリスチャン・ボルタンスキーの「心臓音のアーカイブ」で部屋じゅうに響く心臓の鼓動を聞いているときも、ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーの「ストーム・ハウス」で突然の嵐に包まれているときも、その人の陽気な表情と声とが思いがけずまた目の前に現れるような気がするのだ。
「南寺」で会ったその人は私にそう話しかけるとすぐに、手話でみんなと楽しそうに話しながら去って行った。十数名ほどのグループだった団体の方どうしも、ものすごい勢いで手を動かしている。手話を勉強していないので何を話しているのかはわからないのだが、口話ならさぞにぎやかなんだろうなあ、と思った。
このときは私も彼らと別れて次のスポットに向かったから、もうその人たちとは会っていない。でもアートを鑑賞するときだけでなく、何か琴線に触れることがあるとこの言葉を思い出す。アートというと「コンセプトは」とか、「美術史の中での位置づけは」といったことを考えてしまうけれど、もっと自由に、もっと素直に受け止めればいい。その人のおかげで『来し方行く末』だけでなくいろんなことを考え、感じることができるようになったような気がするのだ。
もしかすると彼は、自分がそんなことを言ったことも忘れてしまっているかもしれない。でも彼のその言葉で、私は生きることもアートももっと楽しめるようになった。直接お礼を言うことはできないけれど、いつもその人には感謝している。そんな言葉を聞かせてくれた直島にも、特別な思いがある。
青野 尚子あおの なおこ
建築・アート関係のライター。共著に「新・美術空間散歩」(シヲバラタク/青野尚子、日東書院本社)、『背徳の西洋美術史 名画に描かれた背徳と官能の秘密』(池上 英洋/青野 尚子、エムディエヌコーポレーション)。雑誌、ウェブマガジンにも寄稿。
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