寄稿「消費されない島」中村剛士

直島を訪れたのは今からかれこれ13年前の2007年夏のこと。産まれた子どもが「しまじろう」と共に成長し中学校へ入学するほどの長い期間、直島とはご無沙汰をしていることになります。

年齢を重ねると物忘れがひどくなり、画家や作品の名前から、いつどこへ行きどんなものを見聞きしたかも、霧がかかった曖昧模糊としたものとなってしまうものです。

ところが、はるか昔の直島の旅でありながら、今でも直島での体験が鮮明な印象として心に残っており、そしてこの後も決して忘れることがないと断言すらできてしまうのは何故なのでしょう。

それは直島が「物語を紡ぐ島」だからに他なりません。

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(写真:田中まこと)

かれこれ30年以上、数多くの美術作品を観ています。はじめは画集で目にした作品を実際に目の前にするだけで感動していたものが、次第にその絵に付与された「意味」をさぐり、書籍を読み、セミナーに参加するなどし「価値」を見い出すようになって行きました。

今ではすっかり美術館・博物館巡りが定着し、暇さえあれば作品を観漁る日々を送っています。展覧会が開催されれば一刻でも早く観に行き、一日に何館もはしごするのも日常茶飯事です。

観ても観ても、きりがないほどアート作品が東京の街中にあふれていることは幸せなことですが、ふと立ち止まって考えると、ただ単にそれらを追いかけているだけのように感じる時がしばしばあります。

それはあたかも、流行のファッションや、人気YouTubeチャンネルなど時代のトレンドを次から次へと求め続けるかのようです。つまり絵画鑑賞のつもりが、いつしか「消費」することが目的となってしまっているのです。

生来、流行りものが好きな自分です。こうした芸術を「消費」すること自体否定するつもりはなく、泳いでいないと生きていけない回遊魚のように、つねに芸術を追い求め続ける日々は今後も決してやめることはないでしょう。

ただ、そんな消費行動とは異なる芸術鑑賞をしてみたいという衝動に時折かられることがあります。みなさんもそのように感じ思うことはありませんか。

芸術に触れていながら、逆にいつまで経っても心が満たされない、うるわしい世の中からかけ離れていくようにもし感じたら、迷わず旅へ出かけることにしています。

旅先には、見知らぬものとの出合い、驚き、心を動かされる経験が待っています。年に1,2度は「他の場所」へ赴くことをすすんで実践しています。

京都市内をレンタサイクルで目的もなく一日中走ってみたり、北海道大学の広大なキャンパスを隅々まで探索したりと、非ガイドブック的な旅で心身ともにリフレッシュをはかります。

先述した「物語を紡ぐ島」直島への旅はその中で、最も色あせない旅先のうちのひとつでした。

高松からの直島へ向かう船上から灯台のように見えた草間彌生の「赤かぼちゃ」
地元の人に道案内をしてもらいたどり着いた宮島達男 家プロジェクト「角屋」
瀬戸内海の波の音をBGMに覗き観たウォルター・デ・マリア「Seen/Unseen Known/Unknown」
レストランで食事中に視界に入り込んできた杉本博司「海景」

どの作品もまるで昨日の記憶のようにはっきりしています。こうした経験に基づくいわば消費に還元されない物語を有する芸術鑑賞を直島は提供してくれます。

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ウォルター・デ・マリア「見えて/見えず 知って/知れず」2000年(写真:大橋富夫)
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杉本博司"タイム・エクスポーズド"(写真:安斎重男)

無機質な展示室にキュレーションされた、お行儀よく並ぶ作品と、無言で対峙する普段の接し方とは違い、個々の作品には上記のような様々な経験が伴います。潮風の音や匂い、そして味覚とともに肩の力を抜いたリラックスした状態で接したアート作品たちは、まさに一生の想い出であり、記号化されない生の体験に他なりません。

経験に伴った物語が人それぞれにあるように。

ところで、とても物覚えのよい知人がいます。彼女は何かを覚える(学ぶ)際に、場所と結びつけるように努めているそうです。自宅のデスクで何時間もかけるのなら、それ以外の複数の場所で仕事をすると効率が上がると言います。Aという案件はリビングで、Bはのんびりとソファで、Cは近くのイートインスペースでと使い分けています。

個人が、あることを経験した際の環境や空間、時間などの付随情報と共に記憶されていることを「エピソード記憶」と呼ぶそうです。知らず知らずのうちに実践されている方も多いのではないでしょうか。

仕事や学びの場合、付随情報と結びつけ進めていくことは慣れてしまえば容易なことでしょう。しかし芸術鑑賞は基本的に決められた空間で同じような鑑賞をある意味強いられることになります。

翻って、直島にある芸術作品は旅先での思い出と強く結びつく場所場所に設置されており、それこそエピソード満載なのです。だからこそ物語がごく自然に生まれ、目にした作品の記憶がいつまでも心に留まり続けるのです。

直島が物語を生むアートの島となったのは1990年代からのことです。それまでは銅製錬所主体の島であり、日本の近代化に伴う消費社会を下支えしました。モノがあふれ芸術すら消費されてしまう現代、一周回って直島は「消費されない島」になったのです。

家にいながらにして、web上で世界中の芸術作品をヴァーチャルに楽しめる時代になりました。コロナ禍の今それはとても有難いことではあります。しかし情報化され消費速度に拍車がかかったことも事実です。

たまには、家から出て視覚だけでなく、触覚、聴覚、嗅覚、味覚といった五感の全てをこまやかに、自然に働かせてみることが肝要です。そこに生きた芸術作品があれば言うことありません。そんな唯一無二の場所が直島なのです。

中村剛士
15年以上に渡りブログ「青い日記帳」にてアートを身近に感じてもらえるよう毎日様々な観点から発信し続けている。Webや紙面でのコラム執筆や講演会等も行っている。著書に『いちばんやさしい美術鑑賞』、『失われたアートの謎を解く』(筑摩書房)、『カフェのある美術館』(世界文化社)、『美術展の手帖』(小学館)、『フェルメール会議』(扶桑社)など。
http://bluediary2.jugem.jp/

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