「ウォールドローイング・アット・ベネッセハウス #404」――作品の与えた影響と穏やかな制作の記憶

ベネッセアートサイト直島には「自然・建築・アートの共生」をコンセプトとした宿泊施設、ベネッセハウスがあります。美術館とホテルが一体となった「ミュージアム」の他、「オーバル」、「パーク」、「ビーチ」という3つの宿泊棟があり、客室に美術作品が展示されていることから、宿泊者は非常に間近で、自分のペースで作品と向き合うことができます。またいくつかの客室には、アーティストがその部屋のために現地で制作した作品があります。

そのような作品の一つに、「オーバル」404号室に展示されたデイヴィッド・トレムレット氏の「ウォールドローイング・アット・ベネッセハウス #404」があります。本作品は客室の壁全体を使ったウォールドローイングで、それまでパブリックなギャラリーのみに展示されていた大型の作品をプライベートなベネッセハウスの客室で展示する試みとして1996年10月に制作が行われました。

ベネッセハウス オーバル #404 客室(写真:安斎重男)
ベネッセハウス オーバル #404 客室(写真:安斎重男)

幾度かの来島を経て模型などによりイメージを具体化した後、トレムレット氏はベネッセハウスへ1週間ほど滞在して壁面へのドローイングを行っています。現地での制作アシスタントには、教育・文化振興の試みとして岡山県立大学デザイン学部の学生が選ばれました。制作アシスタントを務めた学生の一人で、現在は京都でアーティスト活動を行いながら大阪芸術大学で教鞭を振るっている黒河兼吉氏より伺った制作当時のお話を紹介します。

「完成品を見ると感動しましたね。作品自体が強いというか、カッコいいなと思いました」

20年以上も前のことで細かい部分は覚えていないものの、作品の与えた印象や制作に参加することによって受けた影響は小さくなかったと振り返ります。当時は現代美術に関する知識があまりなかったという黒河氏ですが、周りの環境から得たインスピレーションをシンボリックな形に変換して作品に落とし込んでいくトレムレット氏のスタイルに触れ、「アートというよりデザイン的で、そういう根拠をもったモノづくりを心掛けていきたい」と感じたそうです。また黒河氏自身に壁を使った作品が多いことも、このウォールドローイングから壁面作品の強さや空間に及ぼす影響を知ったためだとも語ります。

トレムレット本人による制作の様子(写真:安斎重男)
トレムレット氏本人による制作の様子(写真:安斎重男)

また、世界中を旅しながら異国の地で作品を残していくトレムレット氏の姿に憧れを抱いたという黒河氏は、制作参加当初はアーティストになるという明確な意志はなかったと言います。しかし、関係者達の熱量の高さに触れ、また遊んでいるかのように楽しそうに仕事をする姿を見て、こういった人が集まる環境に身を置きたいと思ったそうです。

「今の自分に照らし合わせると、思い描いた風にはなっていないですけど、そうなったらいいなというのは今でも思っています」

制作作業はゆったりとした雰囲気の中で進められたようです。皆でお茶をしたり散策をしたり、あるいは他のアーティストを交えてお茶会を開いたりと、トレムレット氏をはじめとしたアーティストたちも制作環境を楽しんでいるのが伝わってきたそうです。制作アシスタントではありましたが場所柄もあり気楽に遊びに行ったようなイメージだったと語る黒河氏と、アーティストの方々の気持ちも同じだったかもしれません。

「とにかく毎日よく晴れていて、夕陽が海側に沈む、この部屋から見た印象的な風景は覚えています」

ベネッセハウス オーバル #404 客室(写真:大林 直治)
ベネッセハウス オーバル #404 客室 ※作品撮影のために調度品の配置を変えています。(写真:大林 直治)

学生だった黒河氏の人生に強い影響を与えた「ウォールドローイング・アット・ベネッセハウス #404」をはじめ、自然、建築、アートが共生した空間で、作品と向き合いながら自身との対話の中で大切な時間を過ごすことができるのが、ベネッセハウスならではの魅力と言えるでしょう。

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