in a silent way
[対談] 岡田利規×森山未來
(聞き手:キュレーター 長谷川祐子)
≪ 後篇 ≫
岡田利規と森山未來の共作によるパフォーマンスプロジェクト、「in a silent way」。ベネッセハウス ミュージアムにて、全10回公演を終え、8月29日(月)に千秋楽を迎えました。上演前に、滞在制作中の直島にて行われた対談。前篇に続き、後篇をお届けします。
長谷川:
今回の作品タイトル「in a silent way」は、マイルス・デイビス注1の1969年の同名曲にも由来していますが、この年は世界中にも革命の嵐、挫折の嵐が吹き荒れた年ですよね。訳すと「静かなやり方で」という意味ですが、タイトルに込めた意味やその時に思ってらしたことを教えてください。
岡田:
"革命"を扱いたいってことは当初から思ってたんですけど、うるさいやり方の革命、いわゆる声高な革命は自分ではできないし、作品としてもできない。自分ができないしガラじゃないってだけじゃなくて、それって成功してない気がするんですよね。カタルシスが起こって、前の独裁者が処刑されたり、崩壊させたりするんですが、その後のことを考えると、お祭りにはなってても"革命"にはなってるのかな?っていう。それはここ何年かで起こっていることでもあるし、もちろん前から起こってることでもありますけど。カタルシスに到達する必要はないし、むしろしないほうがいいんじゃないか。
長谷川:
例えばアラブの春なんかでも、革命によって従来の政権が崩壊してそのときは皆快哉をあげるのですが、そのあと誰も収拾がつけられない事態が生じてしまっているということですよね。
岡田:
そうなんですよね。「そうなんだ、やっぱりうまくいかないんだなぁ」っていうその時の失望感は傍から見てても感じる。そうですね、アラブの春なんかもすごく代表的なものだった。僕が考えているのは、そういう時に、「"そういうことが起こらないように"やる」ということですよね。
長谷川:
それは、「大きな騒ぎやカタストロフが起こらないように」ということですか?
岡田:
ええ。つまり盛り上がるお祭りのような、カタルシスのような感情や歓喜が爆発するような瞬間があるようなものじゃないもののことを考えてみたいと思ったんですよね。
森山:
革命なんか起こらないほうがいい?
岡田:
えっとですね、「革命なんか起こらないほうがいい」とは微妙に違って、「"起こらない"革命のほうがいい」ということですね。
森山:
なるほど、そうですね。
岡田:
「革命が起こらない」んじゃなくて、「起こらない革命」なんです。
森山:
そうか。「革命が起こらない」っていうことの革新性、みたいな。ちょっと違う?
岡田:
潜在的な状態でありながらもすでに何かが顕在化してる、というようなことですね。
特定の空間、条件において生きるコンテクスト
長谷川:
今回の作品で岡田さんのテキストのつくり方として、今までと違って意識されたことは何かありますか?
岡田:
特定の場所で、空間で機能するテキストであることは、すごく考えましたね。劇場の場合はもっとフラットに考えなければいけない。今回のように、みんなが船に乗って来るわけじゃないし、電車に乗って来る人もいるし、例えば横浜で公演をやっても、来る人みんなが横浜に住んでるわけじゃない...とにかくいろんなケースがあるから。そういったものは前提にできない。もっといえば、他の場所で上演されたりもする。だけど、今回の場合は、みんな船に乗って来てる。みんな海を見ている、島を見ている。見てない人がいるんじゃないかとか、そういうことを考える必要もない、ものすごく特別なことだった。あとは、あの場所の中で森山さんがしゃべるっていうことですよね。それも高く遠い舞台上からでなく、お客さんが本当に近い距離で森山さんの話を聞くのを想定するということも、特別なことでした。普段はできないですからね。普段は、普通に劇場の舞台と客席が分かれてるなかでやるから。
長谷川:
だから基本的には、同じフロアで、100人のお客さんと森山さんという1対100の関係でお客さんを動かす、というところから今回のテキストが書かれているということですよね。
岡田:
当日会場で配布されたパンフレットに書いたテキストで、「テーブルマジック」っていう例を出しました。お金をかけた大掛かりなものじゃないんだけど、目の前で何か手に掴んで消えるとか、シンプルでありながらもびっくりしてしまうもの。そういうことのほうが驚けるし、コンセプトを一番強いやり方で伝えられるんじゃないかと思いながらやってましたね。
長谷川:
観る人は、今回ベネッセハウス ミュージアムでそういう体験をして、ミュージアムを出て直島を出て、東京や大阪に帰り着いたりした時に、どんなことを考えるだろう、ということもありますよね。
森山:
都市に戻ってからの景色がどういうふうに見えてるかはわからないですけど、その時に起こったことを反芻することにはなるんだろうなとは思ったんですよね。僕がそうだったから。直島に2週間いて、その後京都に移動して京都の街中を歩いてた時に、「ああ、視界がクリアになっているな」って思ったんですよ。別にここにいた時に視界が曖昧だったっていうよりも、何かすごくその...、催眠術じゃないけども、そういうものにかかっていたんだっていう実感は得たんですよ。それはあるかなと思います。
反発するもの、ちょっと違うものが人の感覚を刺激する
長谷川:
岡田さんから、「見る人に対しての力の行使」という話もありましたが、受け手に対して何か状況を強いることで、その反発を利用して、新しい意識のもちかたや考えを促すことは、建築の世界なんかでもあることですよね。例えば床が平たくないとか、自分が置かれた状況によって異なる感覚が刺激されるということも含めて。そういうことにも関わるんですが、今回上演前に直島で、70人の島の方々を前に一度シミュレーションをしました。コンテンポラリーパフォーマンスやダンスに理解がある方、全くそうでない方、いろいろな方がいらしていたんですが、そのあたりをコレオグラフィーしていくことの難しさ、面白さについてお話いただけますか。
岡田:
あれは大きかったですよね。
森山:
いや、すごく大きかったです。今の建築の話でいうと、反発するものというか、ちょっと違うものが人の感覚を大きく刺激するというのは事実ですけど、それを本当にみんなが求めてるかというとそうではない。例えば生活の中でも、やっぱりちゃんと追い炊きはついててほしいとか、基本的には思うわけじゃないですか(笑)。不自由な、皮膚感覚とかそういうものを刺激されることを素直に楽しめるだけではないわけで。そういうことを、70人の前でやった時は感じましたよね。僕がどういるかっていうところがやっぱり大きく作用した。こういうパフォーマンスをすることによって、リスクを感じているような方もいたので。それに対して僕は、「in a silent way」じゃないですけど、優しく、そういう目線で一緒にここにいなきゃいけないんだな、そういうところからはじめないといけないんだなと思った。相手に「そんなに怖がらなくてもいいんだ」って思われるところから始めないと、今言ってきた"作用"みたいなものは本当には生まれないかもしれないなっていう感じでしたね。
岡田:
僕は普段リハーサルの時は、客席側にある演出席に座って観るんですが、今回はそれでは全く意味がないので、このリハーサルまではずっと立って観てたんですね。あの時はお客さんが70人いてくださったから、僕はちょっと離れたところで見ることができて。その時に思ったのは、これだけの人数の中でああいう話をしてくことは、ある種の受難だなと思ったんですよね。
森山:
僕もです。
岡田:
そうですよね。でもそれは、例えば本当にリアルタイムのイエス・キリストとか、一遍上人とかでもそうだったかもしれないと思うわけですよ。だって、よくわかんないことを言っているおじさんがいた時に、それをみんな最初から「すごーい」なんて聞くわけがない。でもそういう目で見られている中で立ってることが、その人をさらにカリスマティックにしていくんですよね。つまり、そうやって見られてることが、その人にとってむしろプラスになっていく。ステージが上がっていくんですよ。リハーサルの時にそれが見えて、「これは面白いぞ」って思ったんですよ(笑)。でも、そうやって人は影響力を拡大させてく。つまり、ある人間を貶めたい、その人の影響力を落としたい時には、その人を批判しますよね。例えば、ドナルド・トランプ。「あいつはダメだ」と、「あの人はひどいことばっかり言ってる」と。でもそう言ってしまうことは、その人のカリスマを減らさないんですよね。
長谷川:
そうなんです。かえって増強してる部分もあったりして。
森山:
でもそれって、チェルフィッチュというか岡田さんがやってることそのものに通じませんか?チェルフィッチュの演劇って、それまでの演劇に対して、身体の動き、言葉を、どういうふうに受け止めていいかわからないところから始まってたと思うんですよね。今でも、もしかしたら賛否両論あるかもしれない。岡田さんのつくり方というか、そのものが。でも、岡田さんはその受難っていうものを感じて...いない?いる?
岡田:
どうでしょうね。例えば賞をいただいたり、ある種そうオーソライズされる前は感じてたかもしれないですね。確かに言われてみれば。
森山:
今回の作品で、お客さんに対してどんなふうに喋ろうか、どんな言い方がいいかっていうようなことをいろいろ話してた時に、「ファクトをただ喋ればいい」というような説明を岡田さんから受けた時に、僕は「岡田さんの居住まいだな」と思って、そこに岡田さんを見ちゃったんです。でも、岡田さんの辿ってきた道を僕はそんなに知らないけれど、受難というふうに受け取ってないんじゃないかと思ったんですよね。
長谷川:
今回、私はキュレーター、いわゆるドラマトゥルグとしてこのプロジェクトに参加させていただきました。普段はビジュアルで仕事をしているので、そこの面からお話することが多いと思うんですが、結局お客さんが入ってきて何を見るか、目の端で何を感じているかとか、絶えず視覚的なことを私は考えてしまいます。クリエイションの中で、こちらの抽象的な話に混乱されたこともあったかもしれません。
岡田:
でも多分ですけど、僕なんかが考えてコメントすることと少し違う角度から長谷川さんのコメントがあって、それによって未來さんのイメージや思うことが立体化するんじゃないかということは起きてるように思いますね。
森山:
最初はちょっと混乱したとこもあったんですけど。でも今はすごくいい塩梅で身体を通ってる感じがしますね。それを的確にやろうというよりも、それが一回身体の中に通ったことによって変化することが確実にあるので、面白いですね。
長谷川:
私は岡田さんのテキストをアーティストの作品として分析しながら見て、そして森山さんの動きもひとつの作品として見ています。それぞれのクリエイションがどう一緒になっていくか、全体的に分析しながら見ているということですね。日本でおそらくトップクラスのクリエイターであるお二人と一緒に仕事させていただいて、キュレーター冥利につきております。
今までにないものを見せていただくのがキュレーターの傲慢な夢ですので(笑)。とても楽しみです。これをきっかけに、またお二人が一緒に仕事をする機会が別のかたちで出てくると面白いなと本当に思っています。この度はありがとうございました。
【注釈】
注1:マイルス・デイビス(1926年~1991年)。アメリカのジャズトランペット奏者。モダン・ジャズの歴史を築き、"ジャズの帝王"と呼ばれた。
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