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犬島パフォーミングアーツプログラム
公演直前インタビュー
Nibroll「世界は縮んでしまってある事実だけが残る」

「犬島パフォーミングアーツプログラム」の第二弾は、Nibrollの新作「世界は縮んでしまってある事実だけが残る」。8月10日から4日間上演されます。Nibrollは振付家・矢内原美邦を中心に、映像作家・高橋啓祐、音楽家・SKANK/スカンクなど、さまざまなアーティストとともに舞台作品を発表するダンスカンパニー。公演を控え、8月5日より現地入りしている振付・演出の矢内原さん、映像・照明の高橋さん、音楽のSKANKさんの3人に、作品のこと、ダンスのこと、そして何を思いながら創作を続けているのかについて、思うことをありのままに語っていただきました。

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SKANK/スカンク(左)、矢内原美邦(中央)、高橋啓祐(右)

――今回の新作「世界は縮んでしまってある事実だけが残る」は、これまでのNibrollの公演作品の中でも、タイトルが長いですね。

矢内原:
初めてコンセプトをそのままタイトルにしました。いつもはもっと練って違うタイトルが出てくるんですが、いい意味で「いや、これしかない」と。覚えにくいですが、この言葉に集約されてるんじゃないかと思っています。

――タイトル「世界は縮んでしまってある事実だけが残る」は、コンセプトでもあるんですね。

矢内原:
去年、平成27年度文化庁文化交流使として、2015年9月から約5ヵ月半の間、ずっとアジアを回っていました。マレーシア、タイ、ベトナム、インドネシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポールと。今はもうインターネットもありますし、日本で起こっていることが海外にいてもダイレクトに、すごく速く伝わってくる。日本にいても、海外でテロが勃発し誰か犠牲者が出た瞬間、情報がぱっと入ってくるという状態ではあるんだけれども、日本にいると、海外の出来事は何か一つアクションをおいてから感じられるような気がします。本当はもっと身近にそのことを考えなくてはいけないのに。
2015年10月に滞在していたタイの稽古場は、8月にその2軒隣りでテロが起こった寺院だったんです。そのことに私たちは気づかずに稽古をしていたんですけど、ある日の夕方に「あそこでテロがあったんだよ」って聞いて驚きました。その時に、自分が起こっていないと思っていても、実は起こっていることがあるとすごく実感したんです。知らないようですぐ側で起こっていること、知ってるようで知らないこと。この両方のことを足していくと、どんどん世界はある一つの空間に限られていく――。今や東京よりマレーシアのクアラルンプールやタイのバンコクの方が都会です。日本だけが特別じゃないということを含めて、大きく世界を捉えたとき、どんな事実が残っていくんだろう、という問いかけを今回作品にしていきました。

高橋:
タイトルの「世界が縮んでしまって~」というのは、インターネットや情報のことを指しています。例えば、生と死の距離は技術の発達ですごく縮まってきている。AI(人口知能)、遺伝子の冷凍保存などによって、生と死の境目さえも曖昧になりつつある。そういうことも、すごく身近なところで起こってる。それを"世界が縮んでしまった"という例えの一つとしたとき、"ある事実だけが残る"の事実が何かを考えることは、未来につながるのかもしれないと思って。

矢内原:
ニューヨーク・タイムズが制作した、犬型ロボット、AIBOアイボオーナーのドキュメンタリー映像(The "Family Dog"By Zackary Canepari, Drea Cooper)や、映画「her/世界でひとつの彼女」(監督:スパイク・ジョーンズ)もそう。死んでしまった人がまるでずっとそこにいるようにできそうなんだけど、できない。そして、今自分が目にしているものが、生きているものなのか、死んでいるものなのか、わからなくなる。AIBOも、永遠に飼えるって言ってたのに、2006年3月に生産終了、部品保有期間が過ぎた2014年3月には修理窓口は閉鎖。結局修理できないようになって、動物の犬より寿命が短かったりとか。永遠にそこにあるようで、永遠にない。そういう意味で、生きてるということ、死んでいるということが、すぐ近くにある感じがするね、という話も3人でしましたね。

――舞台を発電所跡にしようということは、どういうふうに決まっていったのでしょうか。現在、高橋さんは、映像作品「The Fictional Island」をシーサイド犬島ギャラリーで展示されていますが、その作品とのつながりもあったのでしょうか。

高橋:
一番迫力はあるし、形状としてもステージに近い場所。もうちょっとパフォーマンス的ではないところでやろうという話もありましたが、発電所というのが、僕にとってはすごくエネルギーの場所だった。最初の光が生まれる場所というイメージは、映像のイメージとしてもすごく強かったですね。発電所が稼働していた当時は、電球がなくても、ここは活気に溢れて明るかったそうですし。

矢内原:
高橋君の映像を投影することもあるし、時代というか時間を積み重ねてきた場所の象徴でもあるので。

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会場となる、犬島精錬所美術館 発電所跡

高橋:
シーサイド犬島ギャラリーで、7月18日から展示している映像作品「The Fictional Island」は、犬島のスラグを使っています。スラグは、鉱石の中からほんの少し、一握りのものを抜き出して使い、その残りとして捨てられるもの。全然知らなかったのですが、犬島でその話を聞いたときに、すごくピンと来て。自分たちの日常でもそういうことは起こっていて、自分の存在自体もどちらかというとスラグの方だろうし、殆どの人がスラグなんじゃないかな。でも多分こういうものが社会の土台をつくっているし、そういうものの上で何か色々な事象が起こっている。だから展示の方はそういう意味も含めてスラグで島をつくりました。偶然なんだけれども、発電所跡の方にも、そういうスラグがひいてあって。僕も発電所跡でやることを薦めました。

SKANK:
場所はすごく重要な要素なので、犬島でやるならこうだっていうのは出てきていますが、大まかなコンセプトは構想時から変わってないですね。そのコンセプトにアプローチするのは、ダンスと映像と音楽なので、ロケーションを通してこの3つのコンビネーションを今まさに調整しています。

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――公演には、犬島の方も出演されるんでしょうか。

矢内原:
私たちの場合は身体を使うので、そこに耐えうるだけの身体をつくりだせるだろうかと考えると、これは大きな問題で。そしてそれを犬島の皆さんがやりたいのかと聞かれると、それは難しいということもある。最初のうちは、時間が経過することを見せたかったので、おじいさんおばあさんに出て来てもらって、生きている証みたいなのがうまく合うといいかなとか思ったのですが、発電所跡の遺構が倒壊する恐れもあって、そんな沢山のおじいさんおばあさんが、舞台に上がるわけにはいけないし。
犬島町内会長の安部壽之さんは「いいものをやってくれれば、それでいい」ということをおっしゃってくださったんです。自分たちがやる状態も、コミュニケーションの在り方もいい状態。なんか、すごいいい言葉だなって思ったんです。それって、なかなか言えないと思いますし。だから、いいものをとにかく見せるっていうことを考えてやります。そしてそれを外から観に来てもらう。全然足が向かなかったところに、私たちが来ることによって、外から見に来ようという人がいるようになればいいなって。今回は、とにかく犬島に足を運んでもらうということを目的にしました。

昨日も船で10名ほどの島民の方とご一緒したので、公演のチラシをお渡したんです。練習とか観に来てくださいってお誘いしてみたら、「えー、本番見たいな」って。「何やってるの?」と聞かれるので、「コンテンポラリーダンスです。踊りです」と自己紹介すると、「何それ?こん天ぷら?」という反応(笑)。コンテンポラリーという英語を知っていただくだけでもいいのかなと。あと、やっぱり普段味わえない環境を舞台では味わえますよってお伝えすると、すごい皆さん「うん!! 行きたい、行きたい!!」と仰ってくださった。

――コンテンポラリーダンスのカンパニーは、犬島の近くにはそうないので、普段観に行くのは難しいですし。

矢内原:
コンテンポラリーダンスのカンパニーは、東京にしかないと言っても過言ではない。もちろん大阪にもありますけど、ちゃんとカンパニーとして存在しているのが東京にしかないというのはあります。
欧米は振付センターがあるので、コレオグラファーが散らばっていくんですが、アジアの地域でいうと、マレーシアならクアラルンプール以外ではなかなか厳しい。ただ動きとしては、マレーシアでは、ペナン島でパフォーミングアーツをやっていこうというムーヴメントがあって、夏にすっごく大きなパフォーミングアーツのフェスティバルが開催されてるんです。だからクアラルンプールからペナン島に人が観に行くという人の流れも起きている。だから、そのパフォーミングアーツの開催時に人が移動するというのに、今回私は一番興味を持ちました。ここまで実際自分たちが移動して来て、パフォーマンスをすると、他の人も同じように東京から大阪から移動して、バスに乗って、(犬島へ渡る)宝伝港の前で停まって、わざわざこれを観に来るという。パフォーマンスを見るというのは、日常の続きではないわけですよね。この公演に合わせて、皆がどこからともなくやってくる。このための移動からパフォーミングアーツが始まっていくのは、犬島で公演する意味じゃないかなぁと思いました。島民の方を演者にするということだけではなくて、外部から人を呼ぶということも含めて。

SKANK:
来る前にこうなればいいなって思っていたのは、外から来た人が、島の公演を見た後に、自分の住んでる場所のことを思い出せたらいいなって。今、観やすい場所やお客さんを呼びやすい場所、自分たちがやりやすい場所とか、それが人に観に来てもらう方法として主流になっていると思う。高松から、岡山から乗り継いで島にくるのは不便じゃないですか(笑)。そういう不便で苦労するような場所でやるっていうのは、やる側にしてもお客さんにしても共有できるものだと思うし、それが今回のテーマにもある「何が残る」「事実」みたいところにもつながってくると思う。

高橋:
犬島でも、家プロジェクトが置いてあることっていうのは、いつ来ても観れて、それが日常的な風景になって、そこに人が集まり...みたいな良さがあるんだけど、パフォーマンスはどうしてもそこで消化されてしまう。けれど、多分、そうやって、あちこちから移動してきて、自分たちも移動してきて、1時間なりの時間と空間を同時に共有できるというのは、パフォーマンスの醍醐味。それは今回、やっぱり見せられたら...共有できたらいいなと思っています。

――SKANKさんは2013年の芸術祭で、直島で上演された指輪ホテルの「あんなに愛しあったのに」、今回の芸術祭では高松での「讃岐の晩餐会」に、音楽で参加されていますよね。

SKANK:
直島は観光客も多いし、最初は自分もお客さんに近かったんですけど、20日間滞在しているうちに、色んな人に挨拶されたりして、だんだん住民っぽくなっていってました。犬島の場合は下見に来て、最初は高松に通ったりしていると、東京での暮らしを考えた時、何が最後に残るのかを考えるには非常によかったかなって。今までにやってきたことと繋がって、集大成としてテーマに臨めている気がしますね。
実は2002年に僕、犬島で公演したことがあるんです。その時も場所は発電所跡だったんですけれど、なんだろ...その時の方がむしろ"犬島"を意識しました。作品によって意識することは全部違っていて、直島での公演は、現地で作ったものもあるけど基本的に東京で音楽をつくって、稽古して、それを持って東京から役者を連れていって場所に当てはめていったし、今回の「讃岐の晩餐会」では現地の人たちを集めてつくっていて。犬島の場合はまたちょっと違います。東京でプランしたこと、用意したものを、こちらに持ってきて、ここで組み立てていくというやり方をしています。「あんなに愛しあったのに」と「讃岐の晩餐会」は、羊屋白玉さんがテーマを決めているので、単純にそういう部分も異なりますが、Nibrollではメンバーでテーマを考えるので作品への関わり方は違います。

――今年の2月20日に、渋谷ヒカリエで開催された「瀬戸内国際芸術祭2016 開幕直前展 アーティストトーク」で、「アジア全体のことを考えていきたい」と仰っていました。今回の公演ではマレーシアのJoanna Faith Tan、台湾のLIU Jia-Ruiが出演されます。

矢内原:
別に大してアジアのことだけを考えているわけではないんですが、イギリスやアメリカとかの西洋文化自体のことは、もう前の世代の方々が随分やっていらっしゃるので、私たちがやらなくてもいい。やってないことといえば、アジアです。誰かやってくれる人がいればお願いしたいところなんですけど、それが見当たらないので、私たち40代の年代でやりましょうというので、アジア舞台芸術女性会議を羊屋白玉さんと2012年から開催しています。確かにアジアの劇作家を挙げてみてくださいって言われた時に、名前が出てこないんですよね。なのでアジアの劇作家や振付家を紹介していこうとしています。今の学生を見ていてもヨーロッパとか、アメリカのダンスカンパニーは多少なりとも知っているんですが、アジアの演劇やダンスというもの自体を殆ど知らない。
台湾のCCDC(世紀當代舞團)は、ここ5年ぐらいずっと一緒にやっているコンテンポラリーダンスのカンパニーです。ダンサーや振付の交換をしたり、一緒に企画を立てたり。振付家が学校の先生をしていることもあって、学生同士を交換留学させたりとかも。そのカンパニーからLIU Jia-Ruiを呼びました。あとマレーシアのプロデューサーに、ソロのオーディションをして振付けるという仕事を頼まれて、その時のダンサーだったのがJoanna Faith Tanです。アジアもダンスで食べていくのは厳しいので、彼女は先生をしているんですが、ちょうど夏休みということもあって誘いました。昨日の稽古も手厳しくやって泣いてましたね。もうできないなと思ったら、それまでは優しく見てるんですけど、「はい、交代」って。急に鬼になりますから。英語で言うとストレートなので。You are not collect、とか言いながらやっています。

――矢内原さんが手厳しいのは、耳にしたことがあります...。

SKANK:
昨日は、「Only You」って、こんなに甘くない言葉なんだなって思った(笑)。

矢内原:
日本語でも言うよね。「お前だけ間違ってるんだぞ」みたいな。「もうできないんだったら、やめてください」という感じで言います。できていないんですから。そんなに不条理ではないです。パフォーマンスの何日か前になると、私は人が変わるって学生にも言われますね。でも人に見せるとなると、無理ですね。できてない状態のままで見せられない。稽古は、私の中で出来上がっているイメージに近づけていく作業ですが、それをダンサーが掴めるかどうか。歩いてるその人の身体のイメージとかであって、テクニック的なことではないんです。集中力が切れて、横見て踊ってるな、とか。朝から晩まで練習しているけど、海外のダンサーは結構それができない。私の場合は、ガッと短く集中します。そんな7、8時間もアホみたいに稽古したくないので。

――パフォーマンスは瞬間芸術ですし、公演時間内で出し切る集中力と表現力がなければ成立しないですものね。

矢内原:
できるようにしてこいと1回渡しているのに、できないのならどんどん切り捨てていきます。「あ、できないんだね」、「じゃ、ここ駄目だね」って。そして踊るところがなくなり、そのダンサーがいなくなることもあります。今までにチャンスは十分あったと思うんで、限られた公演前の時間では無理です。待たない。

SKANK:
踊れるようにしてこいっていうのは、ダンサーに主体性が生まれる方法だと思う。そういうのがないと、ずっと受け身でやってしまうし、今のやり方があってると思う。

矢内原:
だらだらするのが耐えられないんです。4、5時間で稽古終わらせる。振付を渡して、次の日覚えてこなかったら、「言えてない、覚えてないとか何?」と、一日目で激怒り。今回も、皆朝から覚えてましたよ。
ダンサーは割とテクニックに比重を置くので、ここの場所だと脚がきれいに上がらないとか、きれいに伸びないということを、皆はすごく気にしていて。私たちにはそんなの全然気にならなくて。砂に脚を取られながら、脚を出して伸ばしている方が面白いって思うんですけど、普通の振付家だとそこは丁寧にやってくれという人が殆どみたいで、そのことをダンサーたちは気にしてましたね。それを気にしないで、思いっきりやれと言っています。

SKANK:
踊らない人間からすると、踊りにくいのを見てるのも面白いしピンとくる。

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――高橋さんの映像も、SKANKさんの音楽も、そうやって手厳しく、激怒りされるんですか。

矢内原:
怒りますよ。できあがってくるのが遅いから。

高橋、SKANK:
遅くない、遅くない。

――3人の関係はどんな感じなんでしょうか、矢内原さんのオーダーに対して応えていくという感じなんでしょうか。

矢内原:
ダンスができて、ダンスをみて、2人がクリエイションしていきます。でもクリエイションだけだとコラボレーションにはなっていかないので、やってみて、ダメだったときはお互いに考えます。どうすれば映像とダンスが合うのかとか、どうすれば音楽とダンスがマッチしていくのかとか。それは環境にもよります。

SKANK:
難しいですね。それこそロケーションとかが関係してくるので。

矢内原:
今回に限っていうと、デュオがダンスっぽいパートなので、音の質や環境を変えたいというのがあり、ネックになっていますね。

SKANK:
自分の場合は、ダンスと映像とロケーションが全部が合った上で、音楽を更新していくという考え方。折衷案でもない。重ねていく感じ。

矢内原:
私もよく発注されて振付をするんですが、Nibrollでは一人一人がきちんとクリエイションをやっていくし、だから発注されるときよりも負担はかなり大きいと思います。それでできてなかったら自分の責任なので。

SKANK:
アイデアを言われて、「あ、なるほど。そうすりゃいいんだ」ってなること多いですよ。

――クリエイションは個々人の表現という理解をしているのですが、その3人のコラボレーションが、Nibrollのクリエイションという位置づけなのでしょうか。

矢内原:
あくまで3人でアイデアを出し合ってのコラボレーション。そしてそれがNibrollとしてのクリエイションであるという位置づけだと思います。高橋君と私は20年来の付き合いです。学生時代からずっと一緒で。20年続けられるというのは、なかなか実現できないことだと思っています。
80年代の小劇場には不条理という言葉が合っていて、団体で「皆で一緒に苦労しようぜ!」という、不条理でも劇団をやっていく楽しさがあった。私たちは70年代生まれの最後の世代で、ラストチルドレンと言われた世代なんですけど、団体で活動するグループにどうにかおさまっている。その流れは90年代まで続くんですけど、その後はグループが育たなくて、2000年代は消滅したといわれているぐらい。特にダンスはそうなんです。ダンサーをみていても、個人の幸せを大事にしていくという時代になってきたなと思っています。個人の幸せに価値を置く。「皆で何かしているから、今はこれを我慢して、そっちを仲間と優先しよう」ではなくて、ゆとり世代に象徴されるように、個人の幸せに価値を置く。自分が楽で幸せだったら、それが一番。そっちの方がいいです。私たちのお父さんの時代は集団で生きるという傾向がもっと強かったと思いますし、個人を大切にしていたら日本はここまで成長しなかったのも事実ですよね。今は個人の時間、自分の時間を大事にしていく人が増えていると思いますし、Nibrollも抜ける人はいますし、その理由もさまざまです。それが究極まで行けばまた戻ってくる。今はその究極への頂点のちょっと手前な気がします。欧米は個人主義に陰りがみえてきて、皆で一緒にクリエイションしつつあるように感じます。

SKANK:
社会がそういう部分に制度化されていっている気もする。個人で考えて決めていけばいいことなんだけれども、何となく、居心地の良さとか空気とかで判断していく。

矢内原:
それだと厳しい環境には絶対耐えられないからみんな逃げるでしょう。でも、こんなことやるより、逃げる方が幸せですよね。自分の幸せをつかんだ方がいい。大体ダンスや演劇をやるやつは社会のくずなんです。くずが集まって、どうにか生きていくという団体なんですよ、私たちって。逃げた人にはみえなかった景色をみているので、くずはくずなりにみたい景色があったりしますから、大変ですがその瞬間だけは逃げなくて良かったと、くずなりに思うわけです。私とかは、もう、クラッシュのジョ―・ストラマ―が「ネクタイつけてるやつなんて、かっこわるいぜー」って言って、高校の時とかは言ってたんですよ。「パンクは労働の味方」みたいなことを信じた口ですね。信じなければよかったです(笑)。

SKANK:
自分の筋で生きてくか、社会の筋で生きていくか。それはあるかもしれない。

――今年の2月20日に、渋谷ヒカリエでのトークで、「パフォーミング・アーツが地域にもたらされることで、何かが生まれていくということは、日本ではまだあまり起こっていない。けれど、芸術祭が大きな一つのきっかけとなって、維新派やままごとが、色んな形でそこに経済を生み出した力が証明されてきている。ここに弾みがつけられるかどうかが、私たちにかかっているのかなと思っている」と話していらっしゃいました。ここで話された"経済"について、具体的に教えてください。

矢内原:
経済というものは、人が動くことによって発していきます。こういうパフォーマンスをするのにもお金がかかっているので、そういうお金をどう生み出すのかはいつも考えているのですが、お客さんにパフォーマンスをただ観せるということだけでなくて、社会の"くず"の人たちが集まってこうしているわけですから(笑)、私たちと同じように社会の中で生きられないあるいは息苦しく感じている人たちに、どうリアクションしていくかということが、一つ大きな経済を生み出す要因になるんじゃないかとも思っています。「何も考えないで、作品だけをつくっていればいい」ということは、もう、時代としては終わっているといわれてますが、それでも踊らないとやってられないという気持ちは大切にしたいと思います。

――これからのNibrollの活動について教えてください。

矢内原:
身体しんたいでどういうふうに経済を考えていくかということを、今度大阪でシアターカフェのようなものを通してやろうとしていいます。NPOや現代アートでは、もう既にそういうことは始まっていますし、このようなコミュニケーションやコミュニティの場所を、建築ではよく考えてつくられています。でも建築の場合、建物をつくってその建物の中にどう人を呼びこむかです。現代アートも作品をつくって、その作品をどう観てもらうかということなので、そこはつくった人の身体がない状況になっている。でもパフォーミングアーツの場合は身体がすぐそこにある。だから、パフォーミングアーツを通して、コミュニケーションを創りだしていきたいと思います。
現代アートは、ものがそこにあるので、作品を通してコミュニケーションをつくっていきますよね。「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ2012」で、十日町市中里・倉俣地区にある作品「ポチョムキン」と500メートルほど離れた矢放神社を会場に、「see / saw」を公演したんです。倉俣の子供たちとテーブルを使ったダンスから、倉俣の烏踊りをみんなで踊り、そのまま神輿を担いで神社へと移動する、公演というよりお祭りを一緒にやったんですけど、皆終わったときに「ありがとうね。ものがあるだけじゃなくて、人を動かしてくれてありがとう」って言われたときに、「あ、パフォーミングアーツは、コミュニケーション・ツールの一つになるな」という実感があったんです。だからそれを、次のステップとして私たちはやっていきたいと考えています。無理矢理作品に参加してもらうとかではなくて、もっと違う方法でやり始めたいと思います。大阪の件は、まだ始まっていなくて、これからやるので、それを新しいコミュニケーション・ツールの、参照例みたいなかたちで見せていけるといいかなと思います。

ただ楽しいだけの作品を提供するというのも、結構多いんです、ダンスだと。そんな難しいことは考えずに、「皆に笑ってもらおうと思って」、というもの。勿論お笑いは難しくて、私たちはそこに到達するほどの頭はないんです。ただ社会全体に問題提起をしてくという演劇とかダンスがなくなってしまうと、それはそれですごく大変なことになる。人がどういうふうなことを考えて、どうやって生きていくべきかということを考えなくなります。私は、できれば...、今生きているわけですから、その生きているということに対して問題提起をしていきたい。私たちは生きて、どういう経験をして、どういう問題をかかえて...ということを。そうすると、そう思って作った作品っていうのは、やっぱり色あせないというか。演劇で上げると、故・寺山修二さんや太田省吾さんとか、先日亡くなられた維新派の松本雄吉さん、生きている方でいうと宮沢章夫さんとか。社会の問題提起を観客に呼び起こすような作品を自分たちは作っていきたい。ダンスでいうとなかなか思いつかないのですが、やっぱりダンステクニックがいるので難しいとは思います。まぁ、どちらにしてもどうせ無駄なことやってるんだから、「こういう生き方はどうですか」「こういうふうに思ってますけど、どう思いますか」という提案もできないような作品をNibrollがつくるならやめときます。私はバーベキューとかやって友達作れないので、家にいてアニメを見てる方が幸せなので(笑)。問題を共有できる人達と稽古して作品を作っていくことにします。そうします。

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