直島会議2025
《マルコ・ポーロの忘れ物》から
直島新美術館へーアジア現代アート
と1995-2025
直島会議2025
《マルコ・ポーロの忘れ物》から
直島新美術館へーアジア現代アート
と1995-2025
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2. 作品《マルコ・ポーロの忘れ物》について
作品《マルコ・ポーロの忘れ物》について
ヴェネツィアを流れる大運河を進んでいるのは、中国の古い帆船です。アーティスト・蔡國強が中国から送り出した船がゴンドラ漕ぎの手によって、「トランスカルチャー」展の会場に向かっているところです。東方に向かって海を渡ったマルコ・ポーロは、ここヴェネツィアに生まれました。そしてこのビエンナーレからちょうど700年前、中国の泉州という町からヴェネツィアに戻ってきたのです。福建省泉州は、中国有数の歴史文化の街です。マルコ・ポーロはこの泉州から故郷ヴェネツィアに向かいました。そして、ここ泉州は蔡國強の生まれ故郷でもあります。蔡国強はマルコ・ポーロが行った歴史的偉業にインスピレーションを得て、《マルコ・ポーロの忘れ物》という作品を提案しました。マルコ・ポーロは東洋のめずらしいもの、めずらしい話をたくさん持ち帰ったけれど、大切な東洋の精神を持ち帰らなかったと蔡國強は言います。そこで、それを象徴する漢方薬を積んだ船を泉州の港から送り出すことを考えました。マルコ・ポーロの旅から700年を経た現代に、同じく海のシルクロードを通って、ヴェネツィアまで船を送り出すという蔡國強の計画は時空を超え、東洋と西洋を交差させようという壮大な試みです。
蔡國強ビデオメッセージ
蔡國強:
「マルコ・ポーロが忘れたもの」とは、人と自然との有機的なつながりの象徴でもあります。風土や気候に応じて処方される漢方―それは東洋的なホリスティックな自然観と方法論の現れです。それはまた東洋の"呪術"をヴェネツィアに運び入れるという構想でもありました。もちろん、医学・占い・風水などには、深い東洋的価値観と精神文化が含まれています。それをヴェネツィアに持ち込むために、海運によって、故郷からやってきた帆船を使って、薬草を運び入れるという行為そのものをパフォーマンスとし、ヴェネツィアの運河を通って届けたのです。これは単に「見る」や「聴く」だけの作品ではありません。体内に取り込まれ、人の生命力や精神を浄化し、活性化させる作品です。観客自身の身体が作品の一部となるのです。
「トランスカルチャー」展は、私が初めて正式に参加した大規模な国際展でした。最初から何か並外れた強烈な印象を与えるパフォーマンスか、イベントをしたいと思っていました。そのとき私は、泉州から運んできた土っぽさ、野性的な気配、火薬の匂いを身にまとっていて、さらに日本で培った自信と組織力を持ち合わせていました。このヴェネツィア・ビエンナーレへの参加を通して、私は初めて実感しました。アートは言語や文化、政治の壁を越えて、人の心に直接届くものであることを。異なる文化を持つ人々と一緒に"遊ぶ"ことができるのだと。もちろん、この作品は私に賞金をもたらし、当時の制作や生活の困難を支えてくれました。さらに、審査に関わっていた多くの西洋のキュレーターたちや展覧会を観に来た多くの西洋のキュレーターたちが、その後すぐに自分たちの展覧会に私を招いてくれたのです。
泉州から日本、アメリカ、そして世界各地へ、私は渡り鳥のように移動を続けてきました。こちらからあちらへと飛び回りながら、この年月、私は世界の変化を目撃し、同時に、自身の人生の変化も経験しました。作品の中には、祖国への思いや個人的な感情もあります。変わらないのは、地球全体の自然や広大な宇宙、そして「目に見えない世界」との対話という命題です。振り返ってみると、《マルコ・ポーロの忘れ物》は、まるで一粒の種のようでした。それが30年という長い芸術の旅路の中で、さまざまな文化の土壌に根を張り、花を咲かせ続けてきたのです。
1995年の参加に続き、97年、99年、01年と何度もビエンナーレのテーマ展に参加し、05年には中国館のキュレーションも手がけました。ヴェネツィアは私にとって「福地」となりました。中国館がヴェネツィア・ビエンナーレに参加するのはこれが初めてでした。私は何度も参加していたため、主催者やビエンナーレの会長とも良い関係にあり、中国館のビエンナーレ参加の実現に助力することができました。
99年に行った《ヴェネツィア収租院》もまた、ひとつの意味あるイベントとなりました。彫刻の原作者を招き、現場で制作してもらい、本来「鑑賞される」彫刻が、「彫刻を制作する」というパフォーマンスアートとして生まれ変わりました。私は社会主義時代のクラシックな作品を再現し、作家自身が作品の一部となって、その姿を鑑賞される存在としたのです。彫刻を見る体験が、彫刻をつくるプロセスを見ることへと変わり、彫刻作品を見ることが、彫刻家自身を見ることになった――このことが私にビエンナーレの金獅子賞をもたらしました。
私自身、グローバリズムや多文化主義の恩恵を大いに受けた人間です。グローバル化が勢いよく進んでいた頃、私はゴルフ場をテーマにした作品をつくりました。いくつもの展示室をゴルフ場のようにつなげて、観客が自由にゴルフをしながら展示室を横切って遊べる構成でした。当時、社会主義国にゴルフ場があることに気づき―社会主義国だけでなく、世界中にゴルフ場はありましたが―朝鮮民主主義人民共和国にもあると知って驚きました。違和感をもち同時に滑稽さも感じました。そこで、ゴルフ場の旗をすべて社会主義国の国旗に変え、そのゴルフ場の作品を通してグローバリズムの遍在性を風刺しました。しかし、今になって振り返ると、当時の風刺はグローバリズムへのある種の楽観が含まれていたかもしれません。今となってはグローバル化の後退を惜しむ気持ちのほうが強いです。
2006年、ベルリン・グッゲンハイムで《ヘッド・オン》を発表しました。インスピレーションはベルリンの歴史からきています。99匹の狼が、ベルリンの壁と同じ高さのガラスの壁に向かって突進してぶつかっていく。そのガラスの壁は、かつて東西ベルリンを隔てていた壁の象徴です。見える壁は壊すことができても、人と人、国家や文化の間にある「見えない壁」は、なかなか壊すことができないというテーマを表現しました。現在、グローバリズムが様々な困難を抱え、孤立や保守の動きが強まる時代において、個人や文化の間にある見えない境界線を問うこの作品は、新しい時代において、より深い意味を持つようになっていると思います。《ヘッド・オン》は現在、直島新美術館に恒久展示されています。これからの時代に向けて、直島でこの作品を見る観客の方々、世界中からやってくる人々が批判的に考え続け、問いかけ続けてくれること、そして、人類そのものの在り方を振り返り、思考を続けてくれることを願っています。