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クリスチャン・ボルタンスキーによるアーティストトークを開催しました。

クリスチャン・ボルタンスキーによる「ささやきの森」の公開を記念して、作品公開初日にあたる7月18日、豊島の唐櫃公堂にてアーティストトークを開催しました。今回のブログでは、トークにて作家の口から語られた言葉を中心に、その内容をご紹介します。

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クリスチャン・ボルタンスキー(通訳:高野勢子):
今日はいらしてくださいましてありがとうございます。豊島に戻って来られて嬉しいです。これまでに10回ほど豊島に来ています。私はこの島で2つの作品をつくっているのですが、非常に強い関係を持っているとともに、それぞれの作品の特徴があります。

まず、「心臓音のアーカイブ」ですが、心臓音をそこに登録し、自分の心臓音を聞くことができるとともに、世界中の人々の心臓音がそこには登録されており、15以上の国で心臓音を集めています。最近ではチリなどの心臓音をおさめましたし、本当にいろいろな国、地域の心臓音を集めています。私にとって、一人一人が唯一の存在であるということはとても重要です。例えば名前でも一人ずつ違い、心臓音も一人ずつ違う。何千もの心臓音がおさめられていたとしても、それは「1+1+1...」と続きます。私は作品づくりの最初から、「死」、そして「忘れられること」に対しての抵抗を続けてきたわけですけれども、常に私の戦いは失敗に終わっています。というのは、例えば「心臓音のアーカイブ」にいて亡くなった人の心臓音を聞いたとすると、その人の「生」よりも、その人の「喪失」をより強く感じるからです。両方の作品に言えることですが、私にとって大切なことは、巡礼の場所をつくることでした。私がこの世を去り、私の名前を皆すっかり忘れてしまうときが来るといいと思っています。それでもなお、心臓音を登録しに人々が来続けるようになってほしいと。こうして、新たな巡礼が生まれるのです。

今回の作品は「ささやきの森」という名前です。今回も、訪れる人たちと関係が持てる作品になっています。というのも、ご希望でしたら自分の風鈴を買って、大切な人の名前、好きな人の名前――亡くなった方、生きている方どちらでもいいんですが、短冊に書くことができます。「心臓音のアーカイブ」と同じようにこの「ささやきの森」も、できあがった作品ではありません。これからも名前が増えていくことを私は望んでいます。

この2つの作品を結ぶ共通点は、「神ではなく人のことを語る作品であること」だとも言えると思います。つまり、脆さを特に求めるという意志があるわけです。そして「ささやきの森」は、私にとっては、より落ち着いた、そしてより穏やかな作品になっています。「ささやきの森」は、私にとって、まわりにいる精霊や霊と関係をもつ作品です。幸せな作品、そして心が穏やかになる作品です。

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自然の中で作品をつくる場合、非常に謙虚でなければなりません。そして自然を尊重しなければなりません。実は同じような作品を1年半前にチリでつくっています。チリの北部にあるアタカマ砂漠というところですが、高度4000メートル、世界一乾燥した地域です。世界で最も星がよく見える場所で、星をイメージした作品を設置し、星のきらめく天空を地上につくったわけです。ただ、この「ささやきの森」と違うところは、作品がずっと永続的に維持されないことを、チリではお願いしました。非常に行きにくい場所にあり、ほとんどの人は見たことがない場所、作品だと思います。そのうちに砂漠がまたもとの砂漠に戻って、そして人間の行った行為を消し去っていくことを私は望みました。

この「ささやきの森」を体験するにあたって非常に重要なのは、山までの小道を自分の足で上がっていくことです。そして、その上がりきったところで森の声を聴く、蝉の声を聴くなどして、森の中に自分の身を置く。そういう、作品を見る前の準備の部分がとても重要です。

私は人生の晩年にこうしているわけですが、今では展覧会場、ギャラリーのようなところで壁に飾るような作品をつくることはほとんどなくなっています。そして私の作品の8割は壊され、消滅していきます。私が興味を持っているのは、神話をつくることです。神話は、人間や、人間がつくった芸術作品よりも長く生き続けます。

私は信仰のある人間ではありません。何かの宗教を信じているわけではありません。しかし、芸術と宗教は大いに関係があると思います。美術館は、今の時代の新たな教会であると思っています。皆さんもお分かりになるかと思いますが、理解できないものに対して、その真理を解く正しい鍵がどれなのかということよりも、むしろ鍵を探すという行為自体に意味があるのではないでしょうか。アーティストの仕事というのは、問題提起をすること。しかし、答えは持たないことです。少なくとも私には答えはありません。いろいろな視覚、音の感覚によって、新たな疑問を提示し、問題提起をしていく、それがまた新たな疑問を考えさせられることにつながる。そのようにして、見る人、聞く人も自分の考えを深めていくというのがアートだと思います。

それから、私にとってとても重要なことがあります。それは、見に来た人がそれぞれその作品を完成させることです。昔、ずいぶん前のことになりますけれども、初めて日本で展覧会を行いました。私の作品は非常に日本的であって、何か影響があるのではないかと言われました。容姿もちょっと日本人っぽいので、「もしかしておじいさんは日本人ですか?」とも言われました。それを聞いて私はとても嬉しく、幸せに思ったんですけれども、アーティストというのは自分の顔を持っていない鏡のようなもので、見る人の顔がそこに映るものだと思っています。私がアフリカで作品を見せたときには、アフリカの人が「あなたの作品はとてもアフリカ的です。きっとおじいさんはアフリカ人でしょう」と言ってほしいんです。映画館で映画を見るのと同じで、それぞれの人は同じものを見ながらも、実は違うものを見ています。同じでありながら違う。アーティストというのは刺激剤なんです。そして見る人それぞれがこの物語を自分で完成していく。私がもしアフリカに生まれていたのなら、私はシャーマンになっていたと思いますし、19世紀に日本に生まれていたならば、僧になっていたと思います。しかし20世紀にフランスで生まれたのでアーティストになった。同じことをやっているのだと思います。ただし違いは、僧は「自分たちは答えを知っている」と思っているということ。私はもちろん今の言葉を使って、例えばビデオを使う、写真を使う、インスタレーションを使う、今の表現方法を使っていろんな問いかけをしているわけですが、その問いかけの内容自体については、数世紀前から皆問いかけているものだと思います。つまり、芸術に進歩はない。そして、アートは何かを変えるともそんなに思っていません。感情は同じなのですけれども、16世紀と今では同じ言葉は使わない、同じ表現は使わない。私は今の人生のこの時期にあって、作品づくりとしては、非常に遠くに、誰も行かないようなところに作品をつくって、ほとんど誰にも見られないけれども作品自体は実存する、そういう作品づくりをするようになっています。

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トークが一通り終了し、会場からいくつか興味深い質問が出ました。

――先ほどのお話の中で、「一人一人を大切にしている」というお話をお聞きしましたが、その人を示す要素として、なぜ名前を大切にするのでしょうか?

クリスチャン・ボルタンスキー:
私がもともと作品づくりをしていて、最初に大切に思うのは、それぞれの人ひとりひとりが重要であって、かつしかしながら非常に脆いもの、儚いものであるというという考え方です。おじいさんの名前は覚えているけれど、ひいおじいさんの名前はもう覚えていない。そういう意味では名前は誰かが存在したということを確認する、それを確実にするために非常に重要なものです。全体主義の政策をとるときには、名前を消してしまって、名前を数字で呼ぶ、というようにわざわざするわけですね。

――今日ここに来る前に作品を見てきたのですが、ボルタンスキーさんが仰ったとおりに、作品に至るまでの道を進んで行っているときに、四国特有の遍路、巡礼という意味での長い道のりを感じることができました。遍路に行かれる人たちがもつものの中に、「持鈴じれい」というものがあるのですが、それはもともと巡礼するときに熊よけとして持つものなんですけれど、煩悩を払い正常な気持ちにするための音色を聴けるように持つものとも言われています。作品の前に立ち、音を聞いたときに、自分の心も綺麗になって、遍路の方が持っている持鈴と似たような感覚をもつことができました。

クリスチャン・ボルタンスキー:
ありがとうございます。そういうお話を伺って、とても嬉しく思いました。お遍路の伝統は知りませんでした。こういうことを言うのは非常にデリケートなことですけれども、考えていることがあるので、お話したいと思います。私たちの顔を見るときに、目はひいおじいさんの目、口は大叔父さんの口、というように、実は私たちの顔のパーツは、全部亡くなった祖先、親戚の人たちのパズルのようなもので出来上がっていると思います。そして私たちの知、知性の知ですけれども、自分自身は全く知る由もない遠くからすでに受け取っているものがあると思うんですね。ですから、もしかしたらお遍路さんのことも、知らずのうちに私の頭の中には入っていたのかもしれませんね。

初めて作家の言葉で語られた、「ささやきの森」。
森の小道を上って作品の前に辿り着き、そこに広がる光景、聴こえる音、匂いなどから何を感じるか――。
ぜひ現地で、ご自身の五感でもって確かめてみてください。

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