丹羽良徳「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」
オープニングトーク アーカイブ

丹羽良徳「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」会期初日、芸術人類学者の中島智氏をお招きし、作家の丹羽良徳氏とのクロストークを実施。内容を、トークアーカイブとしてまとめました(一部編集・加筆修正あり)。

日程:2016年7月18日(月・祝)15:30-17:15
場所:直島町西部公民館
ゲスト:中島智(芸術人類学者)
編集:公益財団法人 福武財団

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司会の福武財団・笠原(左)、丹羽良徳氏(中央)、中島智氏(右)

直島で、「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」を制作するに至った経緯

福武財団・笠原(以下、笠原):本日、司会進行を務めさせていただきます、福武財団の笠原と申します。本日は、島の方が多い会で、何名か映像にご出演いただいている方もご参加くださっている会ということで、気楽に進めていければと思います。よろしくお願いいたします。
まず、今回の会場になっている宮浦ギャラリー六区に関して簡単にお伝えしますと、直島にあったパチンコ屋さんを改装したギャラリーとして、2013年にオープンしました。我々の活動である「ベネッセアートサイト直島」(以下ベネッセ)は、直島の南側のエリアを中心に、変わることのないパーマネントな場を作り込むという活動をやってきています。その一方で、新しい提案や動きのようなものも作っていきたい、あるいは島の方、来島者、アーティストが交流する場も作っていきたい、そういうった思いがあり、この「宮浦ギャラリー六区」という場をつくっていきました。2015年からは、1年をかけて、色々なアーティストに直島に滞在してもらいながら、何が出来るかを考えてきました。その一人が、今日ご参加いただいている丹羽さんであり、今のような形に至っています。
ここからは、丹羽さんの進行でどんどん進めていければと思いますが、丹羽さんにまずは、自己紹介をお願いできればと思います。

丹羽良徳(以下、丹羽):丹羽良徳と申します。ほとんどの方が既に作品を見ていただいたとのことで、ありがとうございます。
僕がこれまでに何をやっているかというと、いつもこうやって霊媒師を使った作品を作っているというわけでは全くなく、これまでは、映像を使ったドキュメンタリーというか、記録映像による作品を主に作ってきました。海外で作ることも度々あって、例えば、かつて共産主義国だった東欧の国に行って現在の共産党員にインタビューを行い、それを作品にするとか、原発事故があった頃、東京に住んでいたので、東京で行われているデモ行進を対象にしたビデオを作ったり、ということをやってきました。つまり、自分が何か行動を起こして、それをカメラマンに撮影してもらって、その記録映像をもとに作品を作る、ということを続けています。今回制作した作品も、このような形になっています。
今回は、作品を瀬戸内で作るという話をいただいて、色々考えた結果、「島」という特殊な場所に、外からいきなり全く関係のないものを持ってくるのは違うのではないかと思いました。そこには両方の考え方があって、部外者には直島なんて関係ないという人もいると思うんですが、僕は記録映像をもとに作品をつくっているので、今回映像に映っている人が実際にいらっしゃったように、直島で撮影をして、今この場所にいる人が登場する作品を作ることで関係を構築することが可能だと考えました。霊媒師さんという考えが、最初どういうふうに出てきたのかっていうことは、自分でもあまり思い出せないんですが、ずっと頭の片隅にあったような気がしています。東ヨーロッパとかモスクワとか共産主義の国で、たとえばレーニンを探す作品とかをモスクワで作ったんですけど、完成させてみたら、人に「幽霊を探しているみたいだ」と言われることがあって。去年まとめた本でも、色々な人がテキストの中で「共産主義の亡霊」などと言っていて、どこか僕の頭の中に「幽霊」とか「亡霊」という言葉がインプットされていたんだろうと思っています。
そして、初めて直島に来て、まだアイデアのないときに、カレーを作ってみたり、島の中をぷらぷらしていたんですが、「生きている人と死んでいる人の違いがわからないな」と思う瞬間があったんですね。そこで生きている人と死んでいる人を一緒くたにした作品が出来るんじゃないかと、それができるのは霊媒師さんなんじゃないかと思いました。こんな説明でわかるかどうかはわからないのですが、僕の頭の中ではそういう回路があって、その記録映像を録ろうということになったんですね。最初、この提案をしたときは、断られるんじゃないかって思ったりもしたんですが、何とか直島町長さんに許可をもらうことができ、進んで行きました。それは恐らく、瀬戸内国際芸術祭以前からこの島で行われてきた芸術の活動が下敷きになっていて、それに参加することが、良くも悪くもだと思うんですが、良しとされているからだったのではないかと思います。その隙間を縫えば、この作品が出来るんじゃないかと、頭の隅で思っていました。

笠原:ありがとうございました。では、中島先生からも自己紹介をいただきたいとおもいます。

中島智(以下、中島):中島智と申します。実は、あまり自己紹介というのが得意ではないのですが、もともとは、芸術大学の油絵科出身です。あるとき、絵の修業のためにアフリカの仮面に出合い、その造形に心惹かれるものがあり、仮面を作った部族に会うためにアフリカに行きました。そうしていく中で、その仮面はいわゆる「美術」の文脈の中では作られていないということがわかり、別のもの、たとえば部族文化や世界観など全てを学ばなくてはならない、ということになり、「人類学」というところまで関心の領域が広がって、今に至ります。

笠原:今回、丹羽さんが中島さんに来てもらいたいと考えたポイントはどこだったんですか?

丹羽:直接にお会いしたのは実は昨日が初めてです。これまでは、TwitterとFacebookなどでメッセージの交換などをしていて、僕がモスクワかイスタンブールにいるときに、急に東京の家の引っ越しをしなければいけなくなったことがありまして、そのとき、僕がいなくても引っ越しを手伝ってくれる人を中島さんが探して手配してくれたというようなご縁がありました。
中島さんは、アフリカでフィールドワークをされていたり、シャーマンや霊、亡霊といった言葉がキーワードになった本を書かれていたり、研究されているという点が大きくて。芸術と霊、言葉に込められている意味は少し違うかもしれませんが、そういうキーワードで繋がっているということでお呼びしました。

交渉の過程から見えて来たもの

笠原:後半には、改めて中島さんの方から、霊や亡霊といった観点で今回の作品をどう感じたか、丹羽さんに質問していただく形で進められればと思いますが、まずは、丹羽さんの方から、直島での取材の過程についてお話しいただければと思います。2015年の7月の初来島以来、直島でかなりの取材をしてきたと思います。直島の中の取材、霊媒師さんのところに行っての経験、その過程で感じられたこと、見えたことをお教えいただけますか。

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丹羽良徳「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」(2016年) 宮浦ギャラリー六区内の展示風景(写真:市川靖史)

丹羽:過程の方は何段階かあって。最初にこのアイデアを出してこれで行こうってなったときに、歴代の町長さんのことを調べなきゃいけないということになりました。直島は、幸いにも「直島町史」っていう本があって、それを調べればある程度の情報はわかるようになっていて、調べていったんですが、最初から結構わからないことだらけで、まず初代の町長(当時は村長)さんの名前が読めなかった。役場の人もわからないくらい。とはいえ小さい町だったので、ご子孫の方がこのあたりにいらっしゃるっていうことは突き詰めていったので、単純に一軒ずつお宅を回っていって、「こういうことをやります」ということを一から説明していきました。「今年(2016年)の夏に(作品として)公開するために撮影したい」っていうことを福武財団のスタッフとお願いして。もちろん駄目な方もいらっしゃるんですけども、許可をいただいた方には、「撮影を進めさせていただきます」というのが第一段階ですね。同時に現町長さんにもお願いした。
それをクリアした過去の町長さんは呼ぼうということになるんで、その次は単純に、霊媒師さんを探すことですね。で、霊媒師さんを探すっていっても僕もコネクションがあるわけじゃないので...。

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「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」(2016年)より映像スティル

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「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」(2016年)より映像スティル

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「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」(2016年)より映像スティル

笠原:最初このプランを聞いたときに、丹羽さんは霊媒師さんに詳しいんだと思ったんですよ。

丹羽:今まで全くそういう方に会ったこともないし、知り合いにそういう人がいるかどうかもわからなかった。でも幸い、僕の叔父が写真家なんですけど、本人曰くですけど、「自分は霊感がある」と言い張ってる。「呼吸を変えると見えるものが変わる」とか。良く考えてみるとそういう人たちが周りにいたなぁと思い出してきて、こういうことをやるよと友達に話をしていたら、案外それまでこんなこと話したことなかった人たちが、「実は霊媒師知ってるよ」と出てきた。そのネットワークから来ていただいた霊媒師さんも何名かいるんですけど、他はもう本当にわからないので、調べて一件ずつ電話していって、交渉を試みて。電話でもわかってくれなかったら、家まで行く。最初から「撮影します」と言ってそれが何になるのかわからない。芸術祭と言っても、すぐには向こうにはわからないですよね。というのがあったんで、なるべく対面で話をすると。

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「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」(2016年)より映像スティル

丹羽:あとは、イタコさんにも直接会いに行って、青森県の八戸というところまで行きまして、今実際にイタコさんとして生きてらっしゃる方が6人しかいなくて、どうやらその6人がいなくなったら、青森のイタコは消滅するらしいんです。ほとんどが80代、90代。一人だけ若い方がいるんですけれども、その方が亡くなったら教える人がいなくなる。伝承系というか、先生イタコがいてそれを教える方法をとっていて、現在先生イタコをやっている方がいないので、もう次世代のイタコはいなくなるというところまでわかっていて。その研究家の方のところまで会いに行って、取材しにいった。

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「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」(2016年)より映像スティル

丹羽:イタコさんはほとんど全盲で目が見えなくて、さらに高齢なので、なんとか話はしたんですけど、正直ここ(直島)まで来るのに現実的に不可能というか、ヘリコプターとかで連れてこないかぎり無理だと。一人で来てくださいとかいうのは無理な話で。青森の市内の自分の生活範囲の中でしか移動ができないということで、イタコさんに来てもらうことはできなかったけれども、実際イタコさんの家で口寄せを一回やってもらったりして。それがまぁ、第二段階ですね。
そのあとは、単純に現町長さんのご予定を調整してもらって、霊媒師さんに「30分時間をもらったので、どういう方法でもいいのでお願いします」と。あとは霊媒師さんにお任せなので、撮ったままですね。
というのが、僕の感情抜きにした、制作の流れです。

笠原:プランが出てきてすぐは、不思議でどう捉えていいかわからないというのをここ(直島)に入れ込むというのが、面白いなと思っていたのですけれど。霊も色々なものがあるじゃないですか。霊媒師やイタコを通して島の歴史を見ていくっていう、その辺の発想っていうのは実際、やってみてどうでした?どういう考えのもと、やってきましたか?

丹羽:難しいですね。何でこういうモチーフを出して作品をつくっているかというと、これまでもそうなんですけど、忘れ去られた文化というか、今現在に生きている僕らがどうも信用できないようなものとか、バカにされるようなものとか、捨てられてしまいがちなものに一様に僕は惹かれているというか。
それでもまだ存在しているという文化とかかたちに対して僕は非常に興味があるというか。だから敢えてこういうものを使っている。僕が何かこういう霊的なものを信用しているからやってるわけではなくて、自分自身が信用できないものを自分にぶつけてみてから、それをどうやって自分自身で乗り越えるかということを試みる、全員を巻き込んだワークショップのようなものじゃないか、と僕は考えています。
最初にタイトルだけ決めて、それに自分が従って作品をつくるので、「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」って決めたら、自分自身がそれを実行する部隊となってそれをやると。そこで巻き起こることに対して、周りの人たち、スタッフの人たち、霊媒師の方たちに、どういうふうにやっているかというのを常に記録していって、それをもとに編集をして作品をつくるという作品の作り方なので。なので、これで僕が霊媒師さんをプッシュしてるとかそういうことではない。イタコの研究家とか色々な人たちに会っていって、言葉を重ねていって、作品ができるかなというのが、僕のもとにある考えですね。

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笠原:ではここで、中島さんにも意見をお聞きしたいんですが、今回の取り組みをどうご覧になりましたか?

中島:非常に無数の切り口があるな、というのがまず最初の感想です。作品は、どちらかというと霊が憑依した状態のものがメインに映っているんですけれど、それ以前の交渉段階が非常に面白くて。画面の中にあるものって、どうしても限られているので、「画面の外にある状況はどうなっていたんだろうか」と、色々想像をかき立てられました。
なかなか感想や質問という形にまとめるのが難しいんですが、丹羽さんがこの企画展のステートメントを書いてくださっているので、これをヒントにしながら考えたいと思います。
まず前提として、現町長さんとか信者でない人々と霊媒師をどう関係させるんだろう、というのを面白く拝見しました。普通は信者である人々と霊媒師の間で関係が成り立つものなので。そこで、丹羽さんは、(ステートメントの中で)「信頼できないと思ってる方法」と仰っていて、それは丹羽さんが「信者でない方々」を代表して仰ってるんだと思うんです。「文化や書物に一切依存しないという方法」とも仰っていますが、この方法というのは、僕はまさにアートだと思っていて、「信頼できないと思っている方法」っていうのは、結局不合理というか、根拠のない、直観的なものですよね。芸術なんて科学的な文脈ではいえませんので。記憶って生きているものですから、そういう「動いているもの」に、書物云々に頼らず、どう触れるかというスタンスが、僕はすごく正統なやり方だなと思いました。

丹羽:そうですね、なので、宮浦ギャラリー六区の受付のところで「直島町史」をわざと売ってたりする。これは、25年くらい前に編集されたものだと聞いてるんですが、直島のはじまりごろから概要をまとめたものです。宮浦ギャラリー六区の入り口の壁に書いてあるテキストは、町史に書かれたものから、ある町長さんの時代に何があったのかという主要な部分をピックアップして貼り出している。それはもうまさに、中島さんがいう「書による説明」です。さらに、これは僕がわざと書いたんですが、(入り口の壁に書いてある文字の中に)「福武財団によって編集されました」と書いている。つまり、福武財団のフィルターも入っている。映像で流されている方は、そのフィルターは一切なくて、僕のフィルターでつくられたものが、ぶつかり合っているのかはわからないんですけど、違った形として出てきている、ということを一つの狙いとしてやりました。

中島:書物になっている歴史というのは、いわゆる「公的な歴史」というように、ねつ造されたものですよね。

丹羽:まあ、ねつ造されているかもしれませんね。恐らく、町史を編纂された方の視点で書かれるであろうし、その人にとって都合の悪いものはなるべくなくしているわけですから、その時代の町の力関係の中で作られたものだとは思いますけど。

中島:それを霊媒師によってつついてみようというような狙いはあったんですか?

丹羽:つつこうというわけではないというか、町史とも整合性はとれないだろうなと思っていたんです。霊媒師さんは何人か来ているんですが、やはり必要以上の情報は渡せないので。渡している情報は人によりますが、氏名と、生年月日と、住んでた辺りの住所くらいしか渡さないんですね。それ以上の情報は向こうも聞いてこないし、こちらも渡すつもりはないので、それしか言わない。中には、その情報もいらないという人もいて、写真だけでいいとか、名前だけでいいっていう人もいるので、それはなるべく渡さないようにしています。そうすると、僕も確かめてはいないので厳密にはわからないんですけど、町史で書かれたものと彼らが言っていることは、どこかでぶつかり合って矛盾が起きるんじゃないかとは思ってました。あと、霊媒師さんどうしの矛盾が起きるんじゃないかとも。同じ町長さんを二人で降ろしたら、違うことを言うであろうと。それを僕らはどう捉えればいいんだというところに、問題が起きてくるだろうとは予想していました。

中島:でも、町史に関していえば、僕はそれは一人だったとしても十分だと思いましたよ。町史に書かれている「これが歴史だ」っていう歴史観に対して、それを曖昧化する仕掛けとしては。

丹羽:そうですか。同じ町長を二人の霊媒師に降ろしてもらおうとしたわけではないんですが、一度霊媒師さんが、勝手に頼んだのとは別の町長を降ろしたことがありました。大阪から来た奥野霊能相談所の奥野さんという方で、植田俊三注1さんという町長の霊を下ろして話をしているんですが、途中から、宮本道衛注2さんの霊が話をしたいと言っていると言い出して、その方の話を一言二言する、という場面がありました。それは、霊媒師さんが勝手にやったことで、そういうこともありました。こういうところで、どこかで整合性が合わなくなることがあるんではないかとは考えていました。

霊媒というプライベートな行為を、公的な島の歴史に適用する

中島:霊媒師に関してもう少し言うと、「町長」という公的な存在の霊を降ろすという方法は、今までにない空白地帯だなとも思ったんですよ。丹羽さんも仰ってますけど、いわゆるイタコなどが普段やっているのは、個人のクライアントが自分の祖先を降ろすということなわけで。「町長」というのは、公的な存在ではあるけれど、「公的な祖先」ではない、つまり「共同体の祖先」じゃないわけですよ。「共同体の祖先」だったら、英雄的な存在だったり、共同体の始祖だったり、あるいは神だったりするんですけど、そうではない。いわゆる「公人」というのは、血も繋がっていないし、スピリットもそんなに引き継いではいない、むしろそれぞれのスタンスでやっているだろう存在です。近代化されていく中で首長は変わっていくもので、首長と首長の間には断絶みたいなものがあるはずで、それなのにその先輩後輩を会わせている。ということで現町長さんに少し伺いたいんですが、実際どうでしたか?過去の町長さんの霊は「公人」として出てくるわけですが、今の町長さんは公人であると同時に私人でもあります。それなのに、町長という公人としての立場を非常に求められるわけで、そこに圧力のような、強要されたような感じはなかったんですか?

濵中満 現直島町長:もちろん、「現町長を表敬訪問してもらう」というのが狙いで制作されるということだったので、町長という立場でお受けするしかないと思っていました。なので、私人として出たつもりはないです。
基本的に、「ようこの作品できたなぁ」というのが、今のところの正直な感想で。最初、丹羽さんと福武財団の方が来られてお願いされたんですが、最初とんでもない話だと思って。私は町長という立場なんで、歴代の町長を面白おかしく取り上げる作品なんだとしたらとんでもない話だと思っていたので、ご子孫やご親族の方が了解してくれるのであれば、という話をしました。ご子孫やご親族の方が説明して了解されるんであれば、芸術祭の作品でもあるから、立場上協力をすべきかなと。でも、「たぶん無理やろな」とおもっていたのですが、引き受けてくださる方もいたということで、だったら私もそう言った以上は協力しなければということで。非常に不思議な体験を色々させていただきました。

中島:こういう質問をさせていただいたのは、僕の中に「公人」と島の歴史の関係について疑問があったからなんです。丹羽さんのステートメントの中に、「口寄せの行為をあえてプライベートな存在に留めず、近親者のみで偲ぶ文化であった口寄せを、誰しもがアクセスできるような島の歴史の中で試してみたかった」とあります。
口寄せっていうのはもともとプライベートなもので、それはすごく必然性があるものなんです。日本では宮古や気仙沼、そして沖縄などにシャーマンの文化を取材してきたんですが、クライアントが霊媒師たちを訪ねていく理由というのは、「なぜ私が祟られるのか?」とか「なぜ私が病気するのか?」というような、つまり「Why me?」ということなんですね。そういう「個別の原因」を見つけてくれるのが霊媒師という人たちなんです。だから逆に、個別の原因じゃない場合は、「病院で治るよ、行きなさい」っていうんですよ。個別の原因なら私に任せなさいと、そこで分けるんです。だから、本当に個別の儀礼をやって、お守りも一回一回違うものを個別に渡すんですね。霊媒師というのは、つまり個別の状況に反応していく能力がすごく高い方々なので、だからこそ「公人を下ろす」という状況でどうなるのか気になった。丹羽さんにお聞きしたいんですが、「公人」っていうのは、島の歴史を「代表」していると思いますか?

丹羽:代表して、ないですよね。代表はしているわけではないんですけど、町史の中に登場する確率はほかの人々に比べて高いだろうと。町の歴史は、町長に託されているわけではないですが、その中に登場する主要な人物としては、町長という存在が一番にくるだろうということで、軸にしています。

中島:僕も、町長というのは、多くの人がアクセスする公の存在、パブリックな存在だとは思うんですが、同時に私人でもありますよね。

丹羽:そうですね、だから、呼び出された歴代町長さんにしても、公人か私人かよくわからない。向こうが公人として出てきているのか私人として出てきているのか僕はわからない。僕らとしては、向こうは歴代町長さんですから、そのような存在として対応すると。そういう対応をさせられているわけですね。

中島:僕が先ほど現町長さんにこういうことをお聞きしたのは、本来、公と私を分けるラインというのは、私人の中に引かれるラインだと思うからなんです。公が大きくてその中に私があるという発想ではなくて、個人の中に公と私があって、どっちを出すのか、ということです。この場合、町長さんは「公」の部分ばかりを出すことを強いられたのではないかと思ったので。公と私のラインというのは、みんなが持っているラインでもあります。誰でもアクセスできる「公」の象徴というのは、極端に言えば「神」なんですが、「神」のイメージというのは、同じ宗教であっても信者とか霊媒師とかの間で、全く個別なんですね。
逆に言うと、もし「神」のイメージがみんなが共通して持てるものなのだとしたら、それは、可塑的なもの、つまりいろんなものに対応できるものだということです。現実というのはとても流動的なものなので、それらに対応できる可塑性がなければ、成り立たないんです。たとえば「マスカレード」というものがあるんですが、これは、みんながバラバラな行動で盛り上がっていくものなんです。その場にいる一人一人の中に確信があって、バラバラなんだけどみんなで盛り上がって狂喜乱舞の状態になる。バラバラであっても、いわゆる「公的な行動」になっているということがあるんです。
そういうわけで、霊媒師さんにも色んな方法があるということが分かっているんですが、例えば、最後に出てきた激しい感じの霊媒師の方なんかは、僕が知らないタイプの方でした。

丹羽:最後に出られていた神主の方ですか?彼は、修験道の修業をされているそうで、僕が知っている限りでは、修験道だけでなく、何か色々なものをミックスさせてやっていて、実は花屋さんでもある。イヤリングが十字架で、マニキュアもすごくて、足や手の指が黒で、十字架のような模様になっていました。見た目は神道っぽい感じだと思ったんですが。

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「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」(2016年)より映像スティル

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「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」(2016年)より映像スティル

中島:たとえば韓国のシャーマン(ムーダン)は、祭壇に、縁起物だったらなんでも置きますね。ブッダからキリストからなんでも置く。

丹羽:僕は、彼とはあんまり打合せをしてなくて、撮影本番までどんなふうにやるかわからなかったんですが、町役場に行ったら「女の人が2人必要」と言われ、ビデオを録っていた福武財団のスタッフに隣に座ってもらいました。この神主さんは末永さんという方だったんですが、末永さんが言うには、周りに座った巫女が「違う目で見る」と言っていました。末永さんが霊を降ろした後で、実際と違うことを言ったら巫女が反論するって理論だったらしい。けど何も言わなくて、「だから俺が正しい」っていう言い方をしていました。それはトリックなのかもしれないけど。で、巫女になった片方は「何も起きなかった」と言い、もう片方は背中がピンと伸びたような状態になったと言っていた。末永さんが言うには、「俺は彼女たちに『御柱』を立てた」と。で、片方は実際に背中が痛くなって翌日筋肉痛になったと言っていました。僕にはよくわからないけど、そういうやり方だった。本当は、役場の人に巫女になってもらいたいと言っていたんですけど、急に役場の人に30分も手伝ってもらうわけにもいかず、ビデオを録っていた福武財団のスタッフにやってもらった。でもこれは女性の方がいいと、男性ではないと言ってましたけどね。これは中島さんも見たことがなかったと。逆に言うと中島さんは、スタンダードなシャーマンとか、様々な国の様式を御存じだと思います。一般的な様式はこの映像とは違うと思うんですが、どういうものを見ることが多いんですか?

中島:僕はこのイタコさんのようなものが多いですね。天の神様も仏様もクライアントもみんな幸せにしてしまうような、優しい感じというか。

丹羽:なんというか、色んなものを混ぜてましたね。閻魔大王とか、知ってるもの全部混ぜて言ってるんじゃないかみたいな。唱えているだけで30分かかるような。

中島:僕が知っているのは、アフリカや沖縄、中国雲南省や韓国などのシャーマンの人などですね。僕は、たまたまそういう僻地というか、完璧にそういう文化が受け入れられている文化の中にいたんですが、そういう文化の中では、実は激しいパフォーマンスがないんですよ。僕は昔、舞踏のようなことをやっていたことがあって、それで少し気持ちがわかるんですが、知っている人の中でやると、それほど激しい動きでなくても、陶酔の中にはいっていけるんですね、ぽんとスイッチが入るというか。でもそれが舞台になると、観客がいるわけなので少し激しい動きになり、さらに路上になると、全く前提を共有していない人たちばかりがいることになるので、そこで負けちゃいけないという気持ちになる。つまり、まず自分の中で強く強く陶酔しなくちゃいけないということになり、だから、心からそういう動きが出てくるというわけではなく、動きから心を作っていくというようなことになるんですね。行為をもっと激しくしなければ、自分の中の気持ちが強くならない、というか不安になっちゃう。そういう感じなので、近代的な都市部などにいるシャーマンというのは、かなり激しいことをやる、というイメージがあります。

丹羽:これは僕の想像なんですけど、今回、事前に霊媒師さんや霊能師さんにカメラを回しているということは、伝えているので、彼らはのちに公開される、発表されると知っている。つまり、これを伝えた時点で、彼らは無意識だとしても誇張してやっていると思うんですね。神主の恰好をしてきて、わざわざ棒みたいなものでぱしぱしと机を叩いたり、大きな声をだしたり。実際にこれがプライベートな空間でやられているかは、僕は確かめようがない。ある種の演劇的な要素が含まれているというか、「舞台」のような状態が瞬間的に生まれていて、僕はカメラを回していて、カメラを切るまでは、ある種のパフォーマンスとして彼らも僕もやらざるを得ない。これは現町長さんも福武財団の方々もそうじゃないかなと。そして、この中には本物も嘘もごった煮になってる。で、僕の中では、ビデオを作ると言いながらも、台本のない演劇のようなものを一年間ずっとやり続けていたんじゃないかと思います。
去年の夏、最初に直島に来て作品を作ってくださいと言われたときなんですけど、確か着いたその日すぐに、ご飯屋さんで現町長さんにお会いしました。そのとき「あ、こんなにいきなり町長さんがこんなふうにご飯屋さんにくるんだ」という風に思って、この時点で、恐らく僕と現町長さんの関係は、「公人とアーティスト」という関係として固定されてしまったと、僕の中では思うんですね。なので、私人同士の関係にはもうならなかったんだろうと。で、僕は島の外から来た者なわけで。「島」というのは、分け方というか、区切りがはっきりしています。島の中に住んでいるのか島の外からやってくるのか。日本人なのか外国人なのか。アーティストなのかアーティストじゃないのか。霊媒師なのか霊媒師じゃないのか、そういう属性がはっきりしやすいところなんじゃないかと。なので、初めて現町長さんにあったときから関係性が固定されてしまって、こういう作品になったんじゃないかと思います。だから、僕は私人としての現町長さんを追いかけるってことは、霊媒師を使ってはできなかったし、やろうとも思わなかった。

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「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」(2016年)より映像スティル

霊媒師とアーティストは似た存在?

中島:公人である現町長さんが、いわば主演俳優として、公人の顔をずっと保つということやっていらっしゃるのが、逆にそこからは見えてこない私人の部分に対して想像をかきたてられました。公的な部分にアプローチしたことで、「公的なもの」というのは本当は一つの歴史だけで作られたものじゃないよねということが、暗に出てきちゃうというか、そういうものを感じました。
霊媒を信じるか、信じないかとか、本物か偽物か、という見方では、僕は見逃してしまうものが多分にあると思っているんですね。「媒介」を意味するメディウム、つまり、ミディアム。これは元々「霊媒」っていう意味なんです。生というものは、固定されたものではなくて流動的なものなので、そういう生の流動的な現実に対応するためには、ミディアムというものは、可塑的でなければいけないじゃないですか。僕は、そういう可塑的なミディアムを扱う存在として、霊媒師とアーティストというのは、非常に似ていて親戚関係のようなものだと思っている。

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丹羽:アーティストと霊媒師が、ある側面で、似たような役割や属性を担っているということですよね?

中島:そうです、そういう感覚はありますか?

丹羽:ありますあります。僕は、言葉は違うんですけど、アーティストはずっと魔法使いだと思っていて。

中島:魔法使い?

丹羽:それは、人をだませるという意味です。だますというと日本語ではネガティブな要素が入りますけれども、目の前にある現実を何か別のものに見立てたり、変換することで、自分たちの生きる世界をより深い理解へ向かうというか。それが魔法使いだと僕は思う。

中島:いわゆる、虚構をもってしか語れない真実というものが、そこに形成されてきますしね。

丹羽:偽物なのに、偽物じゃないと言ったり。本物なのに、偽物だと言っている。それが許容されている部分もある。それが許容される職業はかなり少なかったりすると思うんですけども、それが許容される数少ない職業として、霊媒師だとか、アーティストだとか。他にもあるかもしれないんですけども、そういうものの力はあるんだと思う。でも、魔法使いだとか霊媒師の立場も弱くなっている、と思っている。
ただ、僕は、信じる/信じないって面白い問題だと思っています。こんなことを題材に作品を作るのは危ないと直感では思うし、霊媒を信じるか信じないかという問題に作品を持って行ったら面白くないということもわかるんですが、これって一般の反応としては正当すぎるくらい正当だとも思っていて。それが頭にふと浮かぶというのは、至極当然だし、多分99%の人は、「こんなもの」と思うところはあると思うんですよね。それは、ものすごく当たり前過ぎるから、僕は逆に面白く思う。
僕は「本物か偽物か」という答えはもちろん出さない。だけど、恐らくこれを見ている人たちとか、関わっているほぼ全ての人たちが、そこから逃れられない状態になるということは面白いだろうなと。僕は答えをだせないし、常人がその問題をすぐに切り捨てることは、難しいのではないか、と思ったりもする。

中島:丹羽さんのステートメントに、「見えているという思い込みを排して物事を見る」とありますが、本物か偽物か、信じるか信じないかということは、「見えている」という思い込みなんですよね。本人は見えているつもり。だから一回宙吊りにするというか。じつは霊媒師たちはクライアントを宙吊りにするアルチザンなんです。そのためにまず自らが宙吊りになる、そういう修行をします。それはいかに曇りなく状況を映し出すメディウムになるかということで、単なる自己表現ではない。ここに技術としてのアートとの類縁性があるわけですね。

丹羽:もちろんそうですね。だから僕は、何個かのレイヤーで見る人に混乱をしかけようとは思っているんです。それは単純な混乱でもあるし、わかりづらいものを仕組んだつもりでもあります。それが1時間6分の映像の中で伝わるかはわかりませんが。一番単純なレベルとして、これを見ている人たちがこれを疑いの目でしか見られなくなる、それは本当につまらないレベルの話ではあるんですけど、ただ人間の思考がそこから逃れられないんだとすれば、僕自身はすごく興味はある。見る人たちがその状況に陥らなければならない、という。僕はそれが、「何か見えている」という思い込みなんじゃないかなと思う。

中島:思い込みを超えたいということですか?

丹羽:いや、超えるかどうかはわからないんですけども、それを用いた作品を作っているということです。これは自分自身に対する質問でもあって、自分がこの作品をつくって、思い込みが排除できたとは到底思えないし、多分僕にはできないだろうなという早めの諦めもあったりしますね。それは、悪いことでもなんでもなくて、そういうものがあって、そういう文化があって、そういう人たちが存在していて、そういう人たちとも共存できる可能性もすごくある、というところで作品をつくっているので。「信じる」とか「信じない」という問題は超えなければならないわけではないけども、超えることも可能ではないか。超えないと見えないものもあるのではなかろうか、という考えをもとにしている。
作品を作ったからといってそこにフォーカスしきれたとも思っていない。けれども、それが何かのきっかけになれば、という思いがあります。「信じる/信じないという問題にしたらつまんないよ」っていう話になるのもつまんないよというか。

中島:どの立場も否定しないということですよね。

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笠原:それではそろそろ質問に移ろうと思うんですが、何か質問したい方がいればお願いします。

観客A:すごく素晴らしい作品をありがとうございます。丹羽さんの作品は丸亀での展示注3の際も、教育行政の課題を浮き彫りをするものとして、受け止められる作品注4だったと思うんですけども。僕の中では今回の作品は、民主主義という問題を問い返す、それからヴィレッジというものがどうやってまとめられているかというのを、結果的に浮き彫りにしたかなと感じました。例えば、小松和彦さんという民俗学者が1990年代初頭に、何かの刑罰に遭った村人を引っ張り出すために託宣を使ったという資料が出て来たと言っていて、このように、宗教的な部分と、いわゆる行政の長が結びつくようなことが、明治以降にもあったようなんですね。それは元々の宗教的な意味とは違う文脈ではあると思うんですが、今回の作品は、それを、ある意味、現代において不思議な形で再現していて、結果として「町のリーダー」とはどういったものなのかを問い返していると非常に感じました。今のメディアで繰り広げられている政治が、必要以上に変な言霊のように拡散されている現状と、「町長さんは非常に信頼出来る方だな」と、悪い言い方になるんですけど、錯覚するような感じで、現町長さんが持っている個的な魅力が伝わりもしましたし。逆に自分の町では絶対無理そう、色々な状況の中でないとこれはできないだろうなと思いました。丸亀でも、「よくこんなの作ったな」と感じたんですが、今回の作品はそれをさらに乗り越えたなと。長くなったのですが、2つ質問がありまして、一つは、これはスピリチュアリズム的なものを受け付けないような国、それは、具体的にはどこかというところまでは思っていなくて、丹羽さんが今いらっしゃるウィーンであったり、ドイツ、アメリカなどどんな国でも良いのですが、あえて意見を引き出すような目的をもって、海外で展示をするおつもりがあるかどうか?もう一つが、リップシンクになっているところがあるんですがそれはわざとなのかどうか?

丹羽:日本国外でやるつもりがあるかというと、具体的には今のところないです。僕がウィーンに住んでいるという事実から、そういうところに絡むであろうというのは自然だし、その後、この作品だけでないですけども、他の国でやってみたいなという気持ちはあります。例えば、僕がよく思っているのは、アメリカは宗教的な面では特殊な国だということを僕自身は思っていて、興味があります。例えば、アメリカでは大統領が絶対神様の話をするということ。日本では、首相はなかなか神様の話はしないですよね。それはすごく違うところなので、アメリカのそういう部分は面白いなという直感はあったりする。
あと、リップシンクというのは、音と画像がつながっていないということですよね。あれは、最初はもちろんずっと合わせているんですが、途中から音声をだいぶ重ねているので、わざと外している部分が出てきて、途中から1秒ずれてたのが2秒ずれ、今度まったくずれてきて、字幕しかない部分や音声がない部分、音声はあるけど字幕がない部分などが出てきています。それは、混乱を仕掛けるためにある程度編集をいれています。映像には日本語と英語で字幕をだしていますが、日本語がわかる人と英語しかわからない人はみれば違うだろうということも考えています。で、今回、映像が9面に分かれているということで、そういうものがいつもより多めになっています。いつもはこんなに編集に時間もかけないし、撮ったままを最終形態に持っていくことが多いんですけど、今回はちょっと映像も長いし、使っている画面のストーリーが9面あって、9面がそれぞれ別の時間軸で撮影をしていて、それぞれがそれぞれで完結するような話になっていまして、ご親族に会って話をして、霊媒師さんに会って、現町長に会って霊媒をしてもらうという一連の流れが、9面それぞれで見れば、一連の流れとして大体20分くらいで終わる話になっている。それを一つのものとして完結させるために、部分的には音声を混ぜるし、ずらすし、切るし、音声消すし、というように編集しています。

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「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」(2016年)より映像スティル

笠原:他にはいかがですか?

観客B:お伺いしたいのが、作品の中で印象的だったシーンで、「龍神様が島を守っている」という話がありまして、現町長さんが「私にはわからないけれど」と仰っていたところがあります。丹羽さんの作品の中で、神話や宗教に関する話はこれまであまり見なかったような気がしており、それを踏まえての質問です。まず丹羽さんにとって、公共性と宗教あるいは神話というものの関係が、この作品においてどういう風に考えられたのかな、ということを伺いたいです。

丹羽:確かに僕は、これまで自分の作品に使ったことがなかったと思います。なので、この作品作るときに何が一番困ったかというと全く宗教の用語がわからない、ということでした。霊媒師さんが色々なことを喋っていて、「何とかの儀式をします」というようなことを言っているんですが、その時は「ああ」と聞いているんですが、後から聞いてもまったくわからない。龍神は、音声としてはわかりやすいけど、龍神だろうってことしかわからない、ということで、つまり、わからなかったですね。
ただ、僕としては、宗教というものもある種のシステムとして成り立っているものだと思うので、そこには仕組みがあって、ある種の規則を理解すれば乗っかることができるものだとは思っています。なので僕自身は無宗教で、これまで関わりを持っていなかった、今まではそこに乗っかった人生を送ってはこなかった、ということですね。公共性、というところにうまく答えられているかはわかりませんが、そういうことです。

観客C:直島に住んでいる者です。今日拝見させていただいた感想なんですが、最初オカルトかファンタジー的なものかと思ったんですが、本当にどこかに意識を集中していないとわからないみたいな面白さがありました。一番すごく感じたのは、現直島町長の濵中さんがとってもいい人だなと、素晴らしい男優だったなと。さっきもちょっと言ったんですが、よくあそこでキレなかったなと。いうのもあり、そういう面では、すごく公的に「できた」方だなと思って、いいところを取り上げてくださったと思いました。ありがとうございました。

笠原:それではここで、次回イベントとして来月に予定されているオールナイト上映会注5にゲストとしてお越しいただく加須屋明子注6さんにもご意見ご感想をお聞きしたいと思います。加須屋さんお願いいたします。

加須屋:加須屋明子と申します。今回の作品は、今見て来たばかりですが、よく町長が共感され、撮影を通じてサポートされたなと感じます。町史を読んで勉強するのではないやり方で、日本の大きな歴史とあわせて考えられるという意味で、大事な作品になると思います。芸術祭にとっても大事な作品。映像の中にも出てきましたが、故郷のことを考えますと、発展と原風景が失われることの狭間で、誰でも葛藤があると思うんです。もっと言うと、近代化と魔術的なものをどうするか。個別的なんだけども、みんながきっと共通して考えることが出来る問題として、非常にダイレクトにアプローチされている点を面白く思ったのが一番の感想でした。丹羽さんの過去作品も拝見してきましたが、これまでも問題に対して「まずやってみる」というやり方をされていて、皆が思っているのだけれども自分でなかなか「やってみる」までいかないところまでしている、という気がします。霊媒師と同様、媒介者的な役割と言いますか、霊媒者とアーティストは繋がっているという考え方は、丹羽さんにおいてはそうだなと思います。また、演劇の演出のように、筋書きがないながらも、ある場を設定しながら状況を見て行く監督的な役割をされているとこれまでと共通する部分もあるなと感じました。

笠原:それでは最後に三木あき子注7さんの方からもご意見、ご質問がありましたらお願いいたします。

三木:三木あき子と申します。笠原さんからも最初にお話がありましたが、この「宮浦ギャラリー六区」という場所をどういう場所にしていくかということについて、企画の初期段階から議論に入らせていただいておりました。ベネッセによる直島のプロジェクトには、実はかなり初期から関わっていまして、草間彌生さんの黄色の「南瓜」を置く頃から、関わらせていただいておりました。この宮浦ギャラリー六区は、単に「作品」として完結するのではないアートのアプローチとか、島の歴史やコミュニティというものを掘り下げる中で、最終的に作品という形になっていかないもの、そこに、何かしら島の人たちが関わってくることで意識に変化が起こるというようなアートの形があるのではないかということで、何人かのアーティストの方々と話をして、その中で、丹羽さんにも関わっていただく形になりました。丹羽さんの今回の作品を拝見して、非常に今までと違うなと思ったことが、今までの作品は社会のシステムに対してアプローチしていくものでした。今回の作品もそうなんですが、これまでは資本主義とか社会主義とかそういった部分がテーマになっていたんですが、今回は霊媒であるとか少し違った部分をテーマにしていると感じました。また、もう一つ大きな違いがあって、それは、多くのプロジェクトを外国でなさっていたということが大きいと思うんですが、これまではリサーチをされる側と、リサーチする側の丹羽さん自身との距離感がもうちょっとあったように思うんですね。特に社会主義に関わる作品を見ていると、最初は皆「OK、OK」と好意的に聞いているんですが、進んでいくにつれ、どんどん、質問されている方が、「あれ?なんか違うな」、「意図しているものとは違う方向に連れて行かれているな」という不思議な関係になってきて、少し危ういことになっていって。そうした危うい部分を最終的に暴いていくような感じがあるんですが、今回は少し違って、皆さんの感想にもあったんですが「町長がいい人だと思いました」というような、最後の見た印象が全然違うんですね。そういう作品は、丹羽さんのこれまでの作品にはなかった気がしました。そこでちょっと気になったのが、昨今、丹羽さんだけでなく、丹羽さんの世代の多くのアーティストたちが、日本国内だけでなく、リサーチというものをメディウムとして作品化している作家が多いと思います。そこでリサーチをする側とされる側の人間関係について、いままでの社会主義などについて取り上げた作品と今回の作品における人間関係について、作家として何か違いがあったのか、違いがあったとすればどういう部分にあったのか、お聞きしたいと思います。

丹羽:人間関係に関して決定的に違うのは、僕はまずここに呼ばれて来ている、ということがあります。「ベネッセ」というパッケージの中に連れてこられている、単純にそこが違っています。共産主義の国や都市、モスクワやルーマニアでは、ほぼ突撃したような状態で。東洋から来た何者かわからない、ロシア語もルーマニア語もわからない人間がとにかく来た、というところから出発点なので、彼らからしてみれば、単なるエイリアンが来たというところから始まっている。対して直島は、僕が説明する前に、「ベネッセ」というパッケージが既にあって、それを持って僕がその場所に行くことになるので、何も説明しなくても、ある種の了解ができてしまっていて、そこから始まってしまう。良くも悪くも、そこからストーリーが出発する。ここが決定的に違うところです。なので、もちろん僕がゼロから説明するんですが、僕が説明する以外の情報が既にいっぱい入ってしまっていて、それが時には悪いし、時には楽だと思う部分もありました。そこが恐らく、人間関係の根本的な違いを形成していると思います。

笠原:丹羽さんありがとうございました。まだ質問のある方もいるかと思うのですが、今回のトークはこの辺りで、終了とさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

【注釈】
注1:植田俊三氏。第7代直島村長。1927年(昭和2)12月から1931年(昭和6)11月まで在任。

注2:宮本道衛氏。第13代直島村長・町長(在任中に直島で町制施行)。1951年(昭和26)4月から1959年(昭和34)3月まで在任。

注3:「愛すべき世界」。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で2015年12月20日-2016年3月27日にかけて開催された展覧会。出品作家は、鷹野隆大、丹羽良徳、ミヤギフトシ、森村泰昌。

注4:丹羽が丸亀で制作・発表した作品「より若い者がより歳をとった者を教育する」(2015-2016年)のこと。

注5:今回の展覧会の関連イベントとして企画され、2016年8月13日(土) 20:00~翌7:00にかけて行われたオールナイト上映会。丹羽良徳が2004年以降に制作したほぼすべての映像作品をシングルチャンネルで上映した。

注6:加須屋明子氏。京都市立芸術大学美術学部准教授。キュレーター。専門は近現代ポーランド美術。企画した展覧会に「転換期の作法 ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術」(2005、国立国際美術館/広島市現代美術館/東京都現代美術館)、「死の劇場―カントルへのオマージュ」(2016、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA)など。

注7:ベネッセアートサイト直島インターナショナル・アーティスティックディレクター。今回の宮浦ギャラリー六区の企画「アーティスト in 六区」企画にも関わる。